日本のすがた・かたち
見えぬれど心とかた(作法)を内に秘め
和みを見せる人のありせば
日本人のすがたをよく現わしているものに「かた」があります。
「かた」は道を現わすといわれますが、日本人は、人として守るべき条理を「道」として名付け、それを宇宙の原理としてとらえてきました。それはまた「道義」とか「道徳」ともいわれています。
道と名のつくものは神道から始まり、仏道、相撲、剣道、合気道、空手、柔道、茶道、華道、香道、料理道、工匠道、そして芸道や衆道とまで枚挙にいとまがありません。道はそれを目指す者に、学問や技芸を習得する道標の役を果たし、同時に人として生きる規範を示すものともなってきました。また我が国の何道と名のつくものは世界に類例がなく、ヨーロッパにある騎士道とは意を異にし、独自の文化形態にまで昇華してきています。
これら道に共通するものが、「かた(型・形)」といわれる所作のフォームです。「かた」から入り、「かた」で終わるという、動作を伴った姿のことです。私は、この日本人がつくってきた「かた」こそが、日本人の精神を形づくり、その「かた」という作法が和の心を現わしている、と考えてきました。先人はこの「かた(儀礼・作法・所作)」を、何千年も続く蓄積の中で研磨し、規範として身につけながら子孫に伝え、世界に冠たる精神性をつくってきたのだと思います。
その「かた(作法)」の精華に茶の湯がある、と私は見ています。
それは茶道というような括りではなく、茶の湯にいう茶事、茶会というもので、逆にいえば、日本の「かた」の精華が茶の湯だということです。よく特集などで日本なるものを表現しようとすると、必ずといっていいほど茶の湯を取り上げますが、それはここに起因しています。
次回予定している祭事も、また子どもたちを招き、日本なるものが凝縮している茶の湯の「す・がた・かたち」を見せ、歌舞音曲と共に時を過ごせたらと思っています。