日本のすがた・かたち
昨年から今年にかけ、名建築に関する講演の機会を得ました。
その折に「三島市にある小松宮別邸をご存知ですか?」と聞いてみました。
応えはゼロでした。
ならば、「楽寿園はいかがですか?」と。
数人の方が手を挙げられました。
「その楽寿園の中に在る楽寿館は?」。
やはり数人の方の反応でした。
三島市の名勝・「楽寿園」公園の中に建つ「楽寿館」は、明治23年~25年にかけて造営された小松宮彰仁親王(明治天皇名代・伏見宮邦家親王第8王子)の別邸です。
建物が市の所有となった折、名称を市民からの募集によったため、小松宮別邸の庭園名が「楽寿園」、建物名が「楽寿館」となりました。謁見の間の名称が「楽寿の間」であったためでした。以来、宮家の名建築は「楽寿園」の中の「楽寿館」として呼称され今日に至りました。
15年前に市の文化財審議委員になった折、楽寿園や楽寿館を「小松宮別邸」と呼称されたらどうか、と提案しました。当時の市長や関係者の反応は殆どありませんでした。
昨年末から、「小松宮別邸」に残る最後の建物が、国の登録有形文化財として申請する運びとなり、私がその申請の任に就くことになりました。
諦めていない私は、この機会を逃しては、と市長始め教育長、市の関係者に「楽寿園」が無理であればせめて「楽寿館」を「小松宮別邸」に名称変更されたらどうか、と説きました。
京都にある桂離宮に勝るとも劣らない宮家の建築は、国の重要文化財になる可能性が高く、三島市にとって国にとっても重要な文化財だと。
文化庁が条例改正により、2020に向けて日本の歴史や文化を世界に発信しようと、文化財を観光資源にすることに舵を切りました。
国の文化財を元に収入を得ることは、平和的なことで、我が国の世界に誇る文化を資源化することにより、文化財の保全と利活用が進むことにもなります。
「楽寿館をご存知ですか?」
「それって老人介護施設ですか?」
この会話があったことを市の関係者に伝えたら、ショックを受けていました。
今回の申請は「小松宮別邸」名を入れました。
近く小松宮別邸の名が世に出ることと思います。
〈明治期の宮家の名建築が発見された!〉ということになるかも…。
写真:小松宮別邸の御殿