日本のすがた・かたち
パソコンに向かっている私の眼は凝視時間2時間ほどが限界で、眼が疲れを訴え、散歩を要求してきます。
市内散歩コースはABCの3つあって、その中に滝を観る川沿いCコースがあります。ほんの5分ほどにある滝は思いのほか水量があって、川幅30メートルほどが20mほどの高さから落ちています。
段差の下の滝壺近くから見上げると、地響きを感じるほどの圧倒的なエネルギーを感じ、眼を休ませるには格好の場になっています。
その滝は、大雨の後の瀑布に不思議な光景を呈すことがあります。
ジッと滝を観ていると、水の凄まじさや陽の光りを受けて虹が立つ中に、滝壺から昇る龍がすがたを現わすのです。
躍動する昇龍のすがたは、まるでこの世から隔絶する異次元の空間の有様のようで、戦慄すら覚えることがあります。それに遭遇した時の得も言われぬ爽快感は、独り秘かに浸ることのできる珠玉の時間となっています。
先年、熊野の那智の大滝で、滝を観ていたら滝の中から無数の仏たちが合掌した姿で現れ、思わず合掌していたことがあります。
それは滝が背後の岩にぶつかり、飛沫がその姿を彷彿とさせたものですが、私には眼をこすっても諸仏の姿に見えたのです。
この地上の生物は、自然の営みの中に神や仏を感じ、その姿を想像しているようです。それは人間ばかりではないような気がします。地球上にはその事象が限りなく存在し、観るものによって変幻万化しているように思います。
その中で人間は、雷や地震という自然現象に怖れを抱き、同じ生きものである亀や鶴、十二支の動物たちにも神仏の姿を観て、象や蝉、蛙や蟻までにも神格を観ています。
人間の想像力は、凡そ生活の周辺にあるモノやコトを畏怖する能力を具備し、信じられないほどの奥行きをもって宇宙にまで向っています。
私は今、水神である龍のすがたを新たにデザインしようとしています。
古伝に、「龍の九つに似たる、角は鹿、頭は駝、眼は兎、項は蛇、腹は蜃、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛」とあります。この想像上の生きものが数千年を経て今、何故、私がデザインしようとしているのか。この時空を超えた不思議さに、ただ頭を垂れるばかりです。
芸術の根源は自然の事象の変幻万化を感受することのように思われます。それはまた、人智を超えるものに遭遇し続ける運動のような気がしています。
水神の龍なるすがたは何処かと たずねる果ては宙(そら)にあるとや
写真:鮎止めの滝