日本のすがた・かたち
句歌都々逸集—『緑の洞』の編集が進んでいます。
昨日の編集打ち合わせは「都々逸」(800唄)でした。
都々逸は母の影響で子供の頃から唄っていて、多分、ませたガキだったのではないかと想像されます。
何しろ都々逸は、男女の色気を唄っていることが多く、江戸時代から座敷や粋筋での遊び唄として唄われてきた背景があり、子供の世界ではないからです。
母は家に集まる漁師たちにせがまれると、何時も台所から着物姿の割烹着で手を拭きふき現れ、座敷の下座に座ると、
〽 種蒔かぬ 岩に松さえ生えるじゃないか 想うて添われぬ ことはなし~
などど、それはもう子供の私でもホレボレする声で2、3曲やるのです。6歳頃の私に詞の意味は分からぬものの、この幼い時の体験が、後に歌舞音曲にハマることになったのは確かでした。
長じて都々逸を唄う時は、早朝、鏡台に向かって髪を梳いていた母を思い出し、粋な女だったな、と懐かしむものでした。
和歌や俳句、都々逸は作り初めてから約50年経ちます。
編集をしながら読み返してみると、その当時のことが蘇り、両親や兄弟と過ごした日々が懐かしく思い起こされます。そして、13人居た家族は2人残して亡くなり、命あるものの限りを思います。
先人は歌や句を詠み、生きる道標や伝授、感慨としてきました。
建築家を志して40余年、日記を書くことをしなかった私の記憶は、日本人が好み表現してきた、これら極短の文学形式によって記録されてきたようです。
今では300年生きる木の建築を構想し造るのも、唄などを詠むのも、皆同じ想念の業の上にあるような気がしています。
〽 端(はな)は浮気で 漕ぎ出す舟も 風が変われば 命がけ~
母の十八番でした。
写真:編集担当カワシマノブエさんの校正用原稿