日本のすがた・かたち
2018年2月21日
眼前に富士
高校の部活顧問の訃報が届き、通夜に参列してきました。
十五歳の春から五十七年間、交流して頂いていました。
最近は篆刻と弓道に励まれ、多くの教え子たちは皆その姿に励まされていました。
違う工科のため授業は受けたことはなく、卓球も柔道をされていたとのことで直接指導を受けたことはなかったですが、部員をインターハイに出場させるなどの功績を残されました。
私にはひたすら人の生きる道を説かれ、酒を飲み興が乗ると、
男児志を立て郷関を出ず
学もし成るずんば死すとも還らず
骨を埋むる豈ただ墳墓の地ならんや
人間到る処青山あり
必ず幕末の勤王志士釈月照の「壁に題す」の詩吟を詠われました。
「男は志を立てて故郷を出たら、成就するまで帰ってくるな。死に場所は代々の墓のある地ではない。至るところに青山(死ぬ場所)はある。」
何時もそういって励ましてくれていました。何時しか詩吟を覚えた私は、未だに折々詠っています。
後年、縁あって篆刻に興味を持たれ、互いに篆刻したものを送るなどの交流をして頂き、多くの作品を遺されました。
葬儀会場近く、夕陽に染まる富士山を見て、「志は諦めさえしなければ叶うものだ。願心を高く持て。自分を信じて励むように。」といわれていた言葉を反芻していました。
富士の地に生まれ、多くの人を愛し育て、愛妻と生きた熱血の師は、八十三の生涯を静かに閉じました。
「いいか、決して諦めるなよ!」
帰路、夜陰に紛れて声が聴こえていました。
眼前に富士 師は身罷るや 仰ぎ見る 合掌
葉書:先年、私詠の和歌に篆刻を添え贈って頂いた師の作品。
2018年2月21日