日本のすがた・かたち

2017年11月25日
道しるベ

40年も前のことですが、寺社建築の設計をし始めた頃、本尊である仏像に関心を持ちました。寺の本堂は、ご本尊のお館だと思うようになっていた頃のことでした。
それならば本尊さんを良く知らなければならない、それが動機でした。

改めて、子供の頃に見ていた家の菩提寺本尊を拝観してから、縁ある毎に寺院を始め美術館などを巡り、韓国、中国、インド、ネパール、ブータンでもお参りするようになりました。

その一連の行脚の中で印象に残ったのが日本の仏師のものでした。
中でも平安期の定朝、鎌倉期の運慶、快慶、江戸期の円空の仏像は、脳裏に焼き付いていました。
定朝作の平等院「阿弥陀如来」、運慶作の願成就院「毘沙門天」、快慶作の浄土寺「重源上人」、円空作の一連の「不動明王」。
この中で実見していなかったのが、伊豆にある「毘沙門天」でした。

先日、東博で「運慶展」があり、逢ってきました。
圧巻でした。

四人の仏師の共通していたところは、「願心」でした。
仏像を拝観し、願心の高さこそ仏の姿に近づく道しるベであったと確信しました。

四十半ばの頃、仏像は巨大な木造建築だと思うようになりました。
彼ら仏師は、歴史に残る建築家であり大棟梁であると思うに至ったのです。

核心となる本尊はお舎利であり、経典など仏像の内蔵物に象徴されているもので、それを秘める仏の造形は建築の造形に他ならないと。

彼らは皆、大勢の弟子や協力者を擁し、巨大なプロジェクトを実現させています。その道標はやはり願心であり、願う心の大きさが大願成就への大道を歩むエネルギーと化したはずです。

私は、運慶の「毘沙門天」を拝し、暫しその気高さと美しさに圧倒されていました。

帰路、新幹線の夜窓から相模の海を見ていて、運慶の振る鑿も私の持つ鉛筆も、同じものではないかと思いました。
さあ、また明日から10Bの鉛筆に願心をこめて・・・。

 

    願心の 限りを尽くし もの造り

 

写真:運慶作「毘沙門天立像」静岡・願成就院

 

 


2017年11月25日