日本のすがた・かたち
お盆も明日送り火となり、ご先祖さんたちがあの世に帰って行きます。
迎え火と送り火は毎年欠かさない年中行事です。
ご先祖さんたちが家に来て、子孫と過ごすという風習は、とても上手く考えた儀式で、毎年お彼岸と共に季節の移ろいを感じさせ、人生の節目を感じさせるものです。
仏壇に向かい一炷の線香を立て、般若心経一巻を上げると、不思議に鬼籍に入った親兄弟や親しかった人たちの顔を思い浮かべます。そして様々な出来事を思い出し、今ここを生きていることに謝念を抱きます。
考えてみれば、先祖の数は人類発生のところまで遡り、天文学的数字となります。そして、現在この地球上に生きている人間の共通の先祖となり、人類は皆親戚ということになります。
小さな家には大勢入りませんので、まあご先祖さんといってもお招きできるのは顔を覚えている精々10名程になるようです。
それにしても、自分には親がいて、祖父母がいて、曾祖父母がいて、そのまたと考えて行くと、今現在の我が身の奇跡を思います。
日々、喜怒哀楽の中で悶えながら暮らしている私たちは、どうしても幸不幸の判断をしたくなる生きものです。先賢は幸不幸を決めるのは自分の心だと、看破しています。そして判断をし過ぎると苦しむぞ、と教えています。
日本人は争いを好まず、幸不幸は明解にせず、「和する」気持ちでバランスよく調和させる智慧を培ってきたように思います。人は平等であっても平等にはならず、公平を期するという精神がそれを良く現しています。日本のすがた・かたちです。
燃える火は還る場所を知らせる誘導灯ですが、火を観ていると情念をかきたてられ、明日も健やかに生きよと先祖たちの励ましが聞こえてくるようです。
盂蘭盆会は宗教行事ですが、人が健やかに生きて行くための儀式のように思います。
盂蘭盆会 誰彼となく火と燃えて 先祖となるや いずれ苦も無く