Sのプロジェクト
広報の石川です。
プロジェクトの中核をなしていると思える「薬師如来」のイメージにもう少し迫ってみたいと思います。
私たちを苦しめる「病」とは何でしょうか。
風邪、腰痛、頭痛など、いわゆる病気や怪我といったものはもちろん…
癇癪持ち、愚痴っぽい、嘘つき、欲深いなどもお薬師さまは病だと捉えます。
だとすれば、今も昔も、おそらく遠い未来まで…
どれだけ医療技術が発達しようとも、私たちは変わらず病を持ち、悩み続けているのでしょう。
次に、「病を治す」とはどういうことでしょうか。
私たちは怪我をしたり病気に罹ったとき、まずは病院を訪れます。
様々な病を抱えた人々が日々参集するこの場所では、
常に最新の医療技術と薬剤を以て、あらゆる心身の不調を治療してくれます。
では、先に触れたような人々の邪(よこしま)な気持ちや品性に欠けた精神を治してくれる場所はどこでしょうか。
学生時代であれば「学校」と答えても良いのかもしれませんが、大人になってしまった現在、街中を探してみてもどうやらそういった主旨を掲げる施設は見当たりません。
ある意味、医療技術では手の施しようの無い病たちだからかもしれません。
しかし、お薬師さまがそういった病から人々を解放するとされ、かつての人々の心の拠り所となったのと同様に、今の時代の人々にもそういった願いや欲求は通じていると思えてなりません。
かつてのお薬師さまの大願が、あらためて現代に求められているのだと強く思えるのです。
Sのプロジェクトは、何百年先までも失われないかたちや役割を持った、「将来は、国の宝となるような…」ものを目指す造営計画です。
お薬師さまの尊像を伽藍図に描いた建築家の構想はまだ全容を掴めませんが、
この先の日本に住まう人々の和ましい笑顔と、それを眺めるお薬師さまの柔らかいまなざしを、ふと、垣間見た気がしました。
キーワードは「和顔」なのかも。
(写真 重文 薬師如来坐像 真広寺 平安時代)
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樵隠会 総務担当の佐々木です。
太田代表が30代に設計した禅寺(修行道場)の伽藍配置図の計画スケッチがあります。
お薬師さまではないのですが、中国宋時代の禅寺の配置という人体図です。
参考までに。
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設計・メモ
いつものことながら、私は建築の計画を練り始めると、独り言が多くなります。
設計とは自問自答を繰り返しながら進める作業のようです。
「問いかけ、独白する」ことで私自身が高まっていくのか知るよしもありませんが、それでも建築のすがた・かたちが見えるまで、繰り返し、繰り返して……
「Sのプロジェクト」
●木造建築を造る仕組みは、いかにも人間らしい。その最大の特色は木材を人の手によって加工し、組み立てるというところだ。
●現代のように集成材をあらかじめ工場で機械加工するのではなく、無垢の木材をノミやカンナで下拵えすることだ。
●人の手で成す仕事は、経済効率が悪く、儲からないとして敬遠されている。考えてもみるがいい、元々そのような仕事なのだから効率や儲けという点を注視するほうがおかしいのだ。人を育てる建築に対し、思い過ごしも甚だしい。
●私は、巨大な公共建築物を見る度になぜか寂しさに襲われる。そしてすぐ訪れるであろう、ゴミと化す時間を思う。
●なぜ人の手で三百年、五百年という歳月をめざした建築を造らないのか、不思議でならない。
●コンピュータ加工をする木材の継手や仕口には、どこか空々しいところがあって、木材同士が一体となっていない恨みが残る。馴染んでいないのだ。人々はこの難点を克服しようとして、金物を開発した。これはまるで人間の関節を補強するためにステンレスボルトを使うようなものだ。体が丈夫になるからというものでもなかろう。
●現代は多くの人が納得するための数字を必要とする。木材を金物で繋ぎ、補強すると数字では安全が約束されることになる。10年も経てば建物全体が縮むのも知らないで。
●木材や自然材料をもって人の手で住まいを造る。先祖たちが3万年も前からやってきたことだ。我が国の気候風土に一番適しているというのに、なぜ過剰なエネルギーを使い、住み難くしてまで、コンクリートや鉄骨にこだわるのだろうか。
●「安全・便利・快適」といううたい文句に惑わされてはならない。それはどちらかというと人間の五感をダメにしていくことなのだ。言葉を変えれば、「気を使わず・体を動かさず・抵抗力をなくす」というのと同義となる。
(~2013・1)