Sのプロジェクト
向かいいて千代も八千代も見てしがな 空行く月のこと問わずとも『蓮の露』
今から25年ほど前、近郊の邸宅設計を依頼されました。
クライアントは我が国で名医として活躍していた外科医でした。
依頼内容は鉄筋コンクリート造の豪邸でした。
当時の私は多忙で、木造建築に特化して仕事をしていたこともあり、依頼を受けるかどうか迷っていました。
ある日、夜の敷地を見に行くと、夜空には大きな紅い満月がありました。
その夜、望月の絵を描き、良寛と歌を交わした貞心尼の歌を画賛にしました。
「良寛さまとこうして向かい合い、千年も万年もいたいと思います。私のことをさておいて、月のことなど尋ねないでください。」
貞心尼の恋心が表白された相聞歌でした。
私は近在にない邸宅を設計監理し、施主の期待に応えようと未だ見ぬ建築に向かいました。
この頃から、私の設計生活の基本となる考えがすがたを見せるようになりました。
「向かいあって、ずっと見ていよう・・・」
そう思うようになり、それは今日まで変わることなく、私の生活に常住することになりました。
「建築に向かい合ってずっと・・・。」以来、四半世紀この相聞歌を歌って来ています。
先週、その施主から建物を解体する旨の連絡を受けました。
その日は、「何故?」との思いが錯綜しましたが、次の日に急遽予定をキャンセルし、使われていた思い出のケヤキ製の大テーブルを頂きに伺いました。
施主と20年振りに再会し、「是非貴方にテーブルを差し上げたい。」との申し入れに感謝しました。
そのテーブルは当時の記憶が隅々まで遺っているものでした。
私が精魂込めて設計監理した建築が未だ使用できるのに、この世から失せる・・・。
数人でテーブルを運びながら、この現実を「この世の形あるものは滅するがさだめ」との真理に気持ちを替え、持ち帰った欅の板に思いを込めました。
さて、この大テーブルを何方に使って頂こうか・・・。
樹齢300年ほどの欅を前に、私に様々な思いに駆られました。
今ココにある「三島御寮」造営計画と向かい合っている己の姿を改めて見ています。
千代に八千代に・・・。