Sのプロジェクト
14歳の天才棋士藤井聡太四段の将棋を指す場面を見ると、いつも長時間の正座姿です。これをそのまま当てはめれば済むという考えと、ロボット棋士は正座をしてない、という姿。しかし息詰まる勝負は展開されている。
日本の伝統を重んじ継承する人たちがいる以上、畳の上で正座できることを前提とした計画案でよいという考え方と、現代社会の生活の中では畳の存在は薄れ、若者に聞けば座ったことがないとの答えが多い中、いずれ肉体的に辛いとことはAIロボットが代行して茶を点てるのでは…。
茶の湯のステージ「三島御寮」造営計画で、構想時から引きずってきた課題は、高齢者はいざ知らず、これからの人たちが果たして畳の上に正座して、茶事や茶会を楽しむことができるだろうか、ということでした。
建築の設計はその時代の特性や風習、価値観を無視することはできず、今という時代ばかりかこれからの時代を設計する行為でもあります。
つまり、座して行動するか、椅子の行動とし、作業の大半はAIに任すようになるかの選択によっては、計画そのものを根本から見直すことになります。
最近までは畳に座す伝統の継承でなければならない、そこから成立している一連の行動の保持で良いとしていました。
しかし、使う人たちが少なくなり茶室群の手入れも滞るようになったら建築も観賞用となり、明治村のような展示物になりかねない。
伝統とはその上に立った創造であって、常に将来の人間の生活に寄与しなければならない・・・。
これらをどの様に解釈し設計に反映されて行くのか…。
畢竟、迷い迷った末に計画案の修正をすることにしました。
ここ数年の間で自分の中に生じてきた懐疑に結論を出した結果です。
これからの時代をできる限り想定し、茶の湯の面白さ、楽しさ、麗しさが演出できる茶室群に変更することにし、始めた模型作りは一旦止め、再度計画図描きです。
利休が活躍した桃山時代の茶室は、現代に至り多少の難はあっても使えます。
この事実は何かを語りかけます。
三百年先を目指し、今日より明日、明日より明後日…と。
建築の設計とは終わりのない作業といえます。
思い直して図面に向かう やることは是のみと定めて
写真:思い立った日、前庭に開いた今年最初の蓮
図:「三島御寮」造営計画は薬師如来像の姿(変更前)