新之介文庫だより

2017年3月10日
「Sの計画 木の建築ルネッサンス」感想文のご紹介

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新之介文庫の日野です。

春を迎え、いろいろなことが動き始めています。
新之介さんも「三島御寮」造営計画に、またエンジンがかかっているようです。

清水町の河嶋庸乃さんより『Sの計画 木の建築ルネッサンス』の感想文をいただきましたのでご紹介いたします。

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「Sの計画 木の建築ルネッサンス」感想文     河嶋庸乃

息子が生まれて、自分の足で歩きだした頃。
日常の中に心から息子を歩かせたいと思える場所がなかった。そんな折、知人の誘いで静岡市の有度山北麓にある里山へ親子で遊びに行く機会に恵まれた。日々の生活を取り囲んでいるものに慣れる前に、感じてほしいと願うものがそこにはあった。
暖かい。暑い。涼しい。寒い。花 を摘む。葉をちぎる。枝を折る。木に登る。幹の手触り。水に濡れる。水の温度。泥の感触。汗をかく。風が流れる。草の匂い。落ち葉のじゅうたん。ふきのとう、つくし、たんぽぽ、桑の実、冬いちご。カエルの卵。アカハライモリ。飛びかうとんぼ。めぐる季節と景色。

「この江山の洵美なる、生殖の多様なる、これ日本人の審美心を過去、現在、未来に涵養する原力たり」
著者が引用した志賀重昂の一節が、私に息子と過ごした里山の景色を思い出させた。

私たちは、私たちの子どもは、何を美しいと感じ入るのだろうか。
誕生と同時に、生まれた土地も国も飛び越えた情報にさらされて、思想や習慣は風土や生活様式とちぐはぐになりつつあるように思える。実感が足りないのだ。自分 がどこにいるのか、どこから来たのか。どこへ行こうとしているのか。

本書は「木の建築ルネサンス」と題されている。しかし、日本の建築、木の建築という点から語るには、私自身実感が足りない。心の中に原風景・原体験が足りていない。息子の野遊びの原体験については理想を語れても、あまりに無知でただ圧倒されるばかりであった。
そんな私に、明かりが灯った。
私の心を照らしたのは、日本の文化としての木の建築を蘇らせる壮大な計画である。本書と同時に拝見した三島御寮造営計画と重ね、胸の底に何か湧き出したのだ。

木の建築は文化なのだと。建てられた建築物のみが文化なのではない。造る技術も無形の伝統文化である。先人が温めてきた文化を、後を継ぐ者たちに継承 していく。時代が変わる、人が変わる中で新しい様式と溶け合ってその時代の文化が生まれる。朽ちることは失敗ではない。朽ちるものだからこそ、手をかけ、再生を目指す真心が、現代と次代を結ぶ。
そしてまた、建てられた建築はただの箱ではない。その空気の中に身を置く人がいてこその建築であり、その場でとり行われることもまた継承されていく文化であると。そもそも、そういった目的があってこそ建てられる。すべては余さず繋がっているのだと、読んだ。

私にとってはすでに宇宙である。
この宇宙は、造営に関わるどこか一箇所を切り抜いた話ではなく、全てを包括し、未来につなぐ「木の建築家を輩出したい」という、著者の大きな愛に包まれている。

最後に、本書にある「 県十人衆」や「公共建築物の大半を木の建築で造る提案」について心から賛同する。「法隆寺もサグラダ・ファミリアも、テレビで観たことあるよ。知ってる。」という子どもがどれだけいるだろうか。自ら動かず手に入れた情報はあまりに平たく、距離感すらない。
敷居は高くとも、手の届く距離に存在していて欲しいと切に願う。

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河嶋さんには、新之介文庫の編集の分野でこれから新たな戦力として活躍していただく予定です。

今後いろいろなことが動き出してくると思いますので、みなさまどうぞお楽しみに。


2017年3月10日