新之介文庫だより
絵と正対しての感想でした。
(きれいで品がいいな)
思っていたより上品な感じがしました。
(お釈迦さんが神々しいな)
絵の中心を成す釈迦は美しい姿で横臥していました。
(上部の天中に満月。生母摩耶夫人が霊雲に乗り来て、下部は稀な河を描いている。沙羅双樹はすべて曲がっている。お釈迦さんの姿が神々しい。下方に描かれている河はカックッター河(跋提河)と思えるが、この位置にある河は初めてだ。他は雲と釈迦の横臥するベッドの間を流れる河を描いている。河には魚介類ばかりか、海獣や龍までいる。画面に緊張感が漂っている)
入滅して行く釈迦の顔は今まで見た絵の中にない高貴なものでした。近くに寄ってみると、紙本ではなく絹本に描かれていて、釈迦の淡く金色に輝く衣は截金の技法を用いていました。それにしても絵画から発する緊張感はどこからくるのかと思いました。
この絵は明の渡来僧東皐心越(とうこうしんえつ)が徳川光圀のために描いたもので、光圀は生母が眠る身延山久遠寺にこの絵を寄進し、以来、今日に至り、今年の涅槃会に図らずも特別に拝見できる機会を得たものです。
心越禅師と水戸光圀との交流は高田祥平著『西湖の龍 水戸の虎』―東皐心越と徳川光圀―に詳しく書かれていますが、そのご縁で実見でした縁を有難く思いました。
高田さんの他、急遽参加された「琴(きん)」奏者の飛田さん、旧知の篆刻研究家の松村さんと共に眼福の至りの一日でした。
東皐心越は只の禅僧にあらず、画僧、書や篆刻の天才文人僧にあらず。
私がこの涅槃図から受けた印象は、釈迦に帰依する比丘そのもので、これだけの細密な絵を畳6~7枚はあろうかという大画面に描き切る精神力と体力は、よほどの信仰心に裏打ちされていなければ描けないと感銘を受けました。
細密でありながら大きく、そして高い品格。
画材は超一級のものと思いました。金箔、金粉、胡粉も群青も緑青も墨も、そして膠も絹の画布も筆も。
帰依していた光圀が全てを整え、屋敷の大広間を画室として提供したのは想像に難くありません。
絵の右下に東皐心越の署名・落款がありました。
この文字を観て、心越という人物を偲び、筆を持ち、息の詰まるような作業の連続に臨んでいる我が身を思いました。
知られざる禅僧東皐心越を世に出した高田祥平さんに感謝した一日でした。
写真:久遠寺の釈迦涅槃図(東皐心越画 徳川光圀讃)