新之介文庫だより
明けましておめでとうございます。
今年は太田先生が計画される「三島御寮」造営事業のお手伝いができればと思います。
昨年11月末に催されたササヤンの追善の茶事。突然の正客指名に戸惑った私でしたが、無事お務めが果たせたようで胸を撫でおろしているところです。
新年を迎え、改めて思い起こしています。
ー 床には太田洞水老師の書とともに、それを彫った仏師の面差しにも似た観音菩薩様が飾られ、皆さまを迎えました。
全員で読経をし、故人の冥福を祈りました。
ノブさんのディジュリドゥは魂の叫びのごとく、うたかさんの声は飛天の歌声のごとく、鎮魂の響きでした。
席中に名香「松涛」が焚かれササヤンへの思いが満ちました。
お客様のひとりが「ササヤンは頑固な人だった」と言われ、皆口々に「そうだった、そうだった」との話となりました。
朴訥とした語り口と穏やかな笑い顔、しかし、内実はとても頑固な方でした。
だからこそ「三島御寮造営」の壮大な計画を前に、怯むことなく1歩1歩確実に進んでいったのだと思われました。
「自分の代で出来なくてもいい。次ぎに続く人を育てていけばいいのだから…」
ササヤンは一途な人でした。
正客の席に座った私は、不慮の事故とはいえ突然いなくなってしまったことへの戸惑いと、行き場のない悲しみで、怒りにも似た感情が絶えず起こっていました。
あれから1年が経ち、追善茶事の席で、やっとお別れが言えると思いました。
ご亭主柴山さんや市川さんの心入れに皆が感謝し、ササヤンを思う気持ちでひとつとなった席は和んで行きました。
いつもならササヤンが水をむけてくれたり、それとなくリードしてくれていたことを皆で助け合ったことも思い起こされました。
尾林さん先導の「お茶事体操」も皆でしたものでした。
不慣れでも、茶事の経験がなくとも、亭主も点前も客も五感を研ぎ澄まし、六感で交流しました。そこにはいつも確かにササヤンが微笑んでいました。
一座建立。
最後にご亭主がササヤンの十八番の「南部牛追い唄」を唄ってくれました。
ササヤン以外で聴くのは初めてでした。
それを聴いて、あらためてもう二度とササヤンの歌は聴けないのかと思い涙が溢れました。
出席されなかった太田先生は病室のベットで心経をあげられていたとのこと。
心中をお察しいたしました ー。
思いがけずに正客を務めさせて頂いた私は、ササヤンの思いを心にとめて行こうと思うに至りました。
茶の湯の奥深さと人のご縁の有難さに遭遇した一会でした。
太田先生は茶の湯を日本文化の発露として位置づけ、茶室建築群の造営とともに茶の湯を後の世に伝えて行こうとされています。
私もその樵隠会のメンバーとして一緒に活動して行きたいと思っております。
今年一年が発展の年でありますように。
(まつしたさとみ)樵隠会メンバー・茶道教授
写真: 富士の見える拓かれた地
TP 三島大社社殿