新之介文庫だより
後人に情報を伝えようとすると、どのようにするか考えます。
現代では文字や画像などの情報が一番確実な伝達手段といわれます。
美術・芸術の分野の造形物や演劇なども、情報伝達の手段といえますが、一般に記録が広く残り伝達されることからすると、文字、画像が主流といえます。
実はこれには危うさが伴います。
まず材と質です。文字の記録媒体がデジタルの場合は数十年で消滅してしましますし、フイルムでさえ百年がいいところです。千年も情報を留めておくには、和紙に墨書の方が確実です。
そして昨今騒がれている新聞記事のように、情報が誤報や捏造によって記録伝達されると始末が悪くなります。文字に書かれたものは一人歩きを始め、権威などが増長させると大きな影響力を持つことになります。有名人や権威者の説が定説や通説としてまかり通るからです。
もうひとつの情報伝達の方法に「口伝・言伝え」があります。
人間の記憶や言語はあやふやで、口伝の信頼性は高くありませんが、超能力者的な偏差値の高さと、崇高な心根をもっていた人たちが伝えてきた情報は、後の世の人たちに真実の記憶として留まり、また次代に伝達されて行きます。
私は最近、『伊勢神宮』を上梓しました。
その執筆の原動力となったのが、「飛騨の口碑」という大昔からの言伝え、つまり口伝です。
今の世の中には、我が利のために人や世間を操り、既得権という利権を逃さないために暗躍している輩が大勢います。保守的な団体や組織を見ればよく解ります。
「飛騨の口碑」を世に伝えた山本健造氏は数年前に亡くなりましたが、日本古代史に口伝の記録をもって光を当て、「古事記」、「日本書記」でぼかされた史実を明らかにされました。
また古代史実は遺跡の発掘、神社の祭神の謎、古地名に記憶されている事績から、無理なく解けることを示唆し、透徹した眼で物事を観ることを教えました。
口伝は日本人のルーツを明らかにし、日本人の精神性の在りようが「道徳」にあり、古神道は宗教ではなく、先祖から伝わる道徳であることを教示しています。
いずれ飛騨の口伝は世に広まり、いずれ天皇家の故郷が飛騨の乗鞍の麓であることが広がると、伊勢神宮に増して国中から大勢の人が押しかけることになると思います。
私も大工の工匠たちが永く伝えてきた「匠の秘伝」を伝授されています。
これの殆どは口伝と、心技で伝わったもので文字やデジタル画像ではありません。
「手に得て心に応ず」。
山本健造氏に倣い、この口伝を次の時代を担う若者たちに伝えたいと念じています。
Sのプロジェクトはそのための造営でもあります。
出版を済ませてやれやれと思ったのも束の間、私の飛騨の口伝探求はこれからも続きそうです。
書籍は山本健造氏が創設した「飛騨福来心理学研究所」で購読できます。