新之介文庫だより
発刊から間もないというのに、各界の方々から感想や励ましのお言葉をいただいています。
『伊勢神宮』の出版は、今までにないことが起こっているように思います。
今回は著者とは酒友の交わりをされている流山市在住の俳人で作家の髙田祥平さんです。
髙田さんの俳号は「虚栗(こぐり)」、著者の号は「樵隠(しょういん)」ですが、互いに清談に時を忘れるとのことです。
髙田さんのご著書『東皐心越(とうこうしんえつ)』(写真)は新之介さんお気に入りの一冊だそうで、私も拝読しました。
世の中には人知れず歴史を掘り下げている人がいるものだと、感じさせていただいた本でした。
この八月には『漢俳句 虚栗抄』のご本を発刊されるとのこと。楽しみです。
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『伊勢神宮』に寄せて 髙田祥平
伊勢神宮といわれても、私にはまず銘菓「赤福」が浮かんでくるし、女優の故山田五十鈴は五十鈴川からの命名だろうかと、神宮の手前で逡巡するばかりである。
著者の太田新之介氏とは酒友の契りを固く結んできたが、たまに会っても本業である建築の話は稀で、詩文・茶酒・骨董・色気と粋についてなど、三味線に都々逸が流れるような調子で花が咲く。
その樵隠先生が、二十年来懐いてきた想いを結実されたという。『伊勢神宮』である。ありがたくも恵贈落手した日、センスあふれる装丁に魅せられ頁をめくると、なにやら難しそうな歴史や建築の用語で埋まっているので怯んでしまった。が、酒友の契りは万難をも乗り越えるものと、気を取り直し読み始めてみた。
導入部分、『古事記』『日本書紀』を紐解きながら、「飛騨の口碑」という珍しい史料を援用し、雲霧に包まれた伊勢神宮黎明期の原姿を追いかけてゆく。そして、ついには『記紀』の記述が、史実を脚色して神話として仕立てられた過程を明らかにしていく。これは、伊勢神宮のみならず日本古代史に関心を寄せられる方々にも興味津々たるところだ。
以降、奈良平安期から天正・江戸・明治期を経て現代までの神宮の変遷をたどる。六十以上の文献を引用しながらの考証的な著述でありながら、読者を飽きさせないのは、著者の祈りにも似た神宮への情熱が、行間に詩的余韻として響いているためだろう。長年の間、著者の奥深く蔵されてきた心御柱を、私は初めてこの本に観る思いがした。
た う と さ に 皆 を し あ ひ ぬ 御 遷 宮
これは、元禄二年(1689)の式年遷宮を詠んだ松尾芭蕉の珍しい句であるが、現代と変わらぬ人々の神宮への敬虔さと熱心さを捉えている。
最近、江戸時代に関する文庫本を読んだ。江戸の宝永二年(一七〇五)四月に始まった伊勢参宮の群集は、五十日余りの間になんと三六二万人に及び、山城・近江・但馬・美濃・大和・河内・備前・安芸など十六国にまたがったという。
強力な指導的組織をもたず、自然発生的に膨脹したこれら大集団は、封建身分社会の江戸中期に台頭してきた、町人の実力(エネルギー)を象徴する出来事であったと歴史学者は社会現象的に分析する。だが、この難行に無数の庶民たちを駆り立てた奥底には、無意識につまりは遺伝子的に継承されてきた伊勢神宮への日本人の深い尊崇の気持があったはずである。
その尊崇の念がさらに三百年余り継続され、昨年の第六二回式年遷宮につながってくる。本書刊行のちょうど一年前、著者は遷宮の「お白石持ち行事」に白装束を着て参加し、蝉時雨の中でも不思議に暑さは感じず、正殿を見上げた向こうの空の碧さが心に刻まれたという。
― 遥か遠く 飛鳥時代に始まった第一回遷宮から千三百年余りの悠久なる伝統
真新しい正殿に潔斎して臨み 小石ひとつにも心を込め大自然と同化してゆく
その瞬間 猛暑も忘れるほどの清々しいエクスタシー(神との接触)に包まれる…ー
この一場面にこそ、伊勢神宮に対する日本人の想いと感性が凝縮されていると感じるのは私だけであろうか。
杜 浄 し 蝉 も 鎮 ま る 光 哉
(たかだしょうへい・俳人、作家、著書に『東皐心越』などがある)
画像 伊勢神宮参詣曼荼羅 江戸時代 内宮(三井文庫)
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