新之介文庫だより
新之介文庫の佐々木です。
施工の竹中工務店は、横浜支店が担当となり、作業所長山本守司、現場技術者関口堅一郎、設備工事の日管の現場担当佐々木宏一さんたちが集まり、
設計陣からは太田ほか、構造担当尾林孝雄、設備担当日吉慎次、私コーデイネーター佐々木ほかで、着工の打ち合わせが始まった。
これまでの耐震調査、現況調査、地盤調査などを前提に、綿密な施工計画が立てられることになりました。
建築家は、「保存と再生との共存」というテーマが施工の指針であると、基本方針を伝えました。
工事工程、安全対策のほか、中でも重要視されたのが、建物解体の計画でした。
60年前、造営主が思い描いたこの水晶殿は、時間の経過が示す通り材料の劣化が進んでいること、耐震性にも配慮しなければならない。
出来れば設備は最新のものの方がよいなどを考えた時、いい材料はより良い状態で保存し、新たな創意工夫を加え、蘇る事を目指すことに。
この目標に向かい、詳細にわたり、各部の取り外しをまるで、遺跡の発掘をするような、時間の使い方ですすめる。
最近ではこんなことはあまりない・・・。
解体工事と言えば、まさに壊しているという様を思い浮かぶ方が多いと思う。
水晶殿の外周には、床、基礎の立ち上がりなどに、「鉄平石」が貼ってあり、一枚一枚を丁寧にはがし、付着していたモルタルを手作業で落としていき、保管し、新しい材料とともに復元する。
また内部、円形ホールの大理石は、外してみると戦後の資材のない時代を考えると、実に立派なものだった。
イタリア原産のロッソ・プロテッカというものだ。
これと同じもので、新旧の色を合わせることができるか、難しいのでは、と誰もが思い、過去の改修にも実現しなかった。
「あらゆる手段を講じて、探すように…必ず揃うと思うよ。どこかに用意されているかもしれない・・・」
建築家は施工関係者にそう話して、指示をした。
また、「円形ホールのイメージが大理石の色と質感で決まるから・・・これが重要だ」と付け加えた。
いよいよ始まったと、水晶殿の歴史に私も立ち会えると思いました。
明日からつつじ山の上から、相模の海が見られるのか、と心が躍る気持ちになりました。
太田がこの折に詠った歌。
”つつじ山相模の海を眺めやる なれは御船を載せて動かず”
(写真 つつじ山から眺望する穏やかな相模の海)