新之介文庫だより
002 タノントンチャイ山脈の民族
前号で、タイ北西部にタイとミャンマーの国境を隔てるタノントンチャイ山脈があって、その数百キロに及ぶ峰々の高度1200~1500メートルの南斜面から10~18世紀の古陶磁器類が出土して、その数は1980年頃から2010年までに十数万点を超えていたと。
また山脈のチェンマイ県オムコイやターク県メソート近傍からカンボジアの11~12世紀、ミャンマーの14~16世紀、ベトナムの13~18世紀、中国の6~18世紀のものが出土したと書いた。
その事実は、実際この眼で見て手にしているので疑いの余地はないが、謎だったのは、誰がどのような理由でこれらの歴史的遺物を発掘しているのか、ということだった。
掘り出しているのはタイ領のタノントンチャイ山脈沿いに暮らす山岳民族で、特にカレン族が主だと聞いていた。
3回目の現場発掘に立ち会った時、カレン族が住む部落に行き、その訳を知ることとなった。
タイのカレン族は、1900余りの村に約88,000世帯、430,000人ほどが住み、タイの山地民族の中では最大の人口を誇る(人口比はタイの山岳民族の50%近くを占める)。居住地はタイ北部、中部の15の県に広くまたがっているが、特に人口が集中しているのが、チェンマイ県、メーホンソン県、ターク県の、カンチャナブリ県などのミャンマーとの国境地帯である。
他の山岳民族が、主に中国南部からの移住に対し、カレン族はミャンマー東部が起源といわれ、タイには18世紀から移住が始まったというが、ミャンマーにはカヤ州を中心に現在300万人以上が住んでいるという。
カレン族は民族の独立をかけて半世紀に亘りミャンマー政府と独立闘争を行ってきた歴史を持つ。2000年代になるとミャンマー国軍がカレン族への極めて激しい民族浄化(殺人、強制労働、食糧・物資の略奪や強姦など)を行い、幾つもの小さな農村は消滅させられ、戦乱を避けてタイへ脱出したカレン族は10万人規模という。
彼らはアヘンの原料であるケシの栽培で生計を立てていたらしいが、現在ではバナナ栽培など半農半漁と発掘による収入が主といっていた。中でも現金収入の目的は、戦闘に必要な自動小銃購入だった。
2012年1月にカレン民族解放軍とミャンマー軍事政権軍は停戦合意に至ったというが、私が訪ねていた頃は、戦闘が続いていた最中だった。
パゴダ基壇の発掘により出土する中国宋・元・明・清代の陶磁器の優品も、山脈の山腹を掘った穴から出てくるタイ、ベトナム、カンボジアなどの古陶磁から得る収入は自動小銃に変わっていたのだった。
私が支払った代金が武器になっていたとは…。
貴重な文化財が戦闘のために発掘される事実に接し、私はその縁の重さを改めて思い、出土した品々を粗末に扱ってはならないと思った。
『東南アジアに渡った・元明のやきもの』を上梓したのも、そのような背景があったてのことだった。
写真:下から3枚 この折に発掘された中国明代龍泉窯「青磁算木花入」
大切に使わせて頂いている