新之介文庫だより

2017年6月10日
出土の瞬間

タイのチェンマイに行くようになったのは1998年からでした。
目的はチェンマイ県オムコイ郡の山腹から古陶磁器が出土することがわかったためで、実際この目で発掘に立ち会えたら、というのが動機でした。

それまで日本に運ばれて来たものを手に取り、話を聞いてみると、「このような貴重なやきものが土の中から出てくるのか?」と半信半疑になるばかりでした。

最初は形物の交趾香合「蕗薹(ふきのとう)」。同時期に緑のやきもの(白釉緑彩陶)の壺を入手しました。これが縁の始まりでした。

タイと交易をしていた会社社長のご縁でそれから4度タイに渡航し、オムコイ、ターク県メソート、チェンラーイ、そしてスコータイ県などを訪ねました。

各地に住む山岳民族のカレン族、アカ族、モン族、ミャオ族の人たちとも交流し、各地に遺る窯場、遺跡、名勝、寺院も訪ねました。

約10年で収集した古陶磁器類は数百点余。その一部を上梓したのが『東南アジアに渡った・元明のやきもの』(里文出版 2003年刊)でした。
その後『東南アジアに渡った・古染付』と『東南アジアのやきもの』を上梓したいと思っていましたが、これは未だに出版準備途中というところです。

不思議な巡り合わせですが、この度所持する古陶磁類を拠出することになり、その作品の画像を撮り、分類や解説をすることになりました。
これがまとまってくれば出版本のデータになる可能性も。

それにしても、良くぞこれだけのものたちが私の所に集まってくれたものだ、と思います。
丁寧に優しくして世に出したいと思っています。

 

写真:形物香合「蕗薹」形物香合相撲番付表(安政2年1855年刊)前頭東三段目十

 

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2000年12月22日発掘メモ
緑彩陶出土の瞬間
チェンマイのターペイホテルを朝9時に出て一路チェンライ県に向かう。7人を乗せたワゴン車は猛スピードで市外を駆け抜け、40分ほどで国道から右に折れ県道に入った。舗装された山道を5分ほど進むと、こんなところにまさかとおもう、幾棟かの草葺バンガロウ風喫茶店があった。ここは高度600M、ウェンパパオ郡という。
別の2人と落ち合い、濃いタイコーヒーで一息入れた後4輪駆動に乗りかえ、山岳民族のムソ族の住む部落に向かった。20分程で舗装が切れ急な山に沿った川添いを上る。まったくの悪路である。道に添う植栽は日本のものと変わらず、竹や、さまざま茶花とおぼしき草花に出会う。土は赤くこの国特有の色である。1時間ほどで傍道に入り点在するムソ族の住居を過ぎ、さらに悪路を行くこと20分、南に斜面を持つコーヒーとバナナ畑に出た。この辺りはタノントンチャイ山脈の北端部に位置するらしい。
車を降り急な畑を下る。何人かのムソ族の人たちが畑仕事をしている。バナナの木は伐採されたばかりで切り口が新しい。背の低い木はコーヒーの実をつけていた。発掘はその先で行われていた。昼下がり、そこには思いもかけない出会いが私を待っていた。
緑色の大壷が目に飛び込んできた。一瞬目を疑ったがまぎれもなく白釉緑彩陶の壺だった。「やはりあった」4度目の発掘にしてはじめて出会った。手にしてしばらく熱く実感した。
発掘している穴は6ヶ所あり8人が掘っていた。他の数ヶ所はすでに埋め戻され以前から掘られていたことが分かる。緑釉の壺が出た場所は2人が入っていた。穴の深さ約2.5M、直径2Mほどである。
熱い実感の余韻が冷めるまもなく、掘り進める先に緑のそれが見えた。
発掘の瞬間に立ち会えるかもしれないと思った。
慎重に動く細い鉄の棒は次第にその全容をあらわにしていった。大壷で魚の絵が見えた。取り出す前に私も穴に降りた。ひんやりとして壷の肌は冷たかった。地上に上げ土を取り除き仔細に見入る。完品で見事なものだった。緑のやきものに初めて出会ってから10年の歳月がこの瞬間に凝縮されていることを改めて実感した。
その日陶片を含め30数点の陶磁器、鉄器、石器、青銅器が出土した。同行の医師が青花の大壷が出土する様をみて奇声を発していた。高度計は1300Mを指し、木陰にのぞく空は高く碧く澄みわたっていた。

 

 


2017年6月10日