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数日かけた初釜が終わりました。
床掛物 「随處作主(ずいしょにしゅとなる)」
床荘り 蓬莱荘り
出書院 神鈴(伊勢神宮御用達)
花 結び柳 床柱 紅白椿
初座は、席入→挨拶・問答→初炭→点心→主菓子→中立。
後座は、席入→濃茶→薄茶→禅語かるた取り→退席。
茶道具の第一は床掛物といわれます。
掛物の書は私が四十過ぎの時、岐阜瑞龍寺の清田保南老師に書いて頂いたものです。
平成の大改築といわれた禅寺の再建事業の中心にいた老師が、工事の指揮を執っていた私を励ますための一行でした。
「太田さん、人間は置かれた状況が変わると自分を見失うことが多くなります。何時何処でどの様な状況に置かれても、自身を信じ、ものごとに対処して行くといいですよ。」
当時私は、責任の重さに押し潰されそうな日々を送っていました。その窮地に干天の慈雨の如くの降り注いだのがこの一語でした。
対句は「立處皆真(たちどころみなしんなり)」。
「随処に主となれば立ち処に皆真なり」
この禅語により、後に釈尊最後の説法の「自灯明 法灯明」を識ることになりました。
「暗闇の中、自らを灯火として他を拠り所とせず行動するならば、己れ自身の中に真実の自己を見いだすことができる。」
「自分を見失なうことなかれ、今ここの自己を生きよ。」
この軸を掛け一会に臨む時、30年前の情景が蘇ります。
席中、この話をしながら、私ももう一度蘇るような気になっていました。人間は生きている限り、幾つになっても襟を正すことをして行かなくてはならないものだと痛感し、茶の湯の有難さを堪能した日でした。
茶の湯は美へのいざない。
まほろばの国の豊かな心の表白。
今のところ茶の湯ほど面白いものはないと思っています。
写真: 広間床の室礼
TP 恒例の蓬莱荘り