イベント情報
横浜・三渓園の茶室を拝見してまいりました。
このところ、朝晩の気温と日中との差が日に日に感じますが、当日はとても穏やかな一日でした。
今回の見どころはどこか。参加者それぞれが考えていったと思います。
五流派が一堂に会するだけに、自慢の茶器などが出ておりました。私も名碗で一服頂くことが出来ました。
ここは三之谷と呼ばれた谷あいに造られた、敷地175000㎡(53000坪)の広さ、明治の初頭に土地を取得、同35年頃より原三渓が造園に着手。
この地をどう活かすかという、グランドデザインに沿って計画。今見てもそれは素晴らしい、まさに独創的です。
同39年に、外苑を市民に無料開放し開園。大正12年の関東大震災では多くの被害があり、この三渓園はもちろん、横浜、関東一円が見事復興。
ここは移築した建造物と、新しく建てられた建物、それを四季折々の自然が調和した庭園が包み込んでいる。
一般に開放されているということは、その維持管理に多くの手がかかっていることでもあります。数十年も前に来た方でも、変わらぬ風景を再びと、訪れる事も多いのではと思います。
私たちが最初に向かったのは、第四席「月華殿」。ここは簡素な書院造の広間。主室の床の間は幅一間、違い棚も書院もない、見どころは腰障子の吹寄せ桟。
この主室の役割は、あとから建てられた「金毛窟(きんもうくつ)」の、客殿と言ったところでしょうか。
原三渓が、ここで行った茶会について、建築家・新之介先生の講義を受けました。
「金毛窟侘びの茶事」「三渓園浄土飯の茶事」この二つ。
松永耳庵の著書『茶道三年』、これをガイドにお話を伺いましたが、この建物の目的、活かし方、三渓の心配り、さらには招かれた客側の知識の深さ、誰もが心を通じあい、当時が思い浮かぶ、、この本の、情景描写は一読に値します。
「金毛窟」は一畳台目の席。ここに五人が入った・・・。この謎が今日の課題。しかし内部には入る事が出来ず、外から観察。
新之介先生によると、ここの畳の寸法は、京間の基準とは違う。
「茶事」は亭主が何をしたいのか、だからそれを具現する、そして出来たのがこの茶席。
だから、広い・・・。京間とかいう既成概念にとらわれない。
さすがは近代の名茶人と言われた、原三渓。
新之介先生のミニ講座。
○○的という10の表現の整理の仕方、茶席の炉の位置と広さ、どの建物が価値が高いか、などこの見学会でなければ聴くことのできない情報が満載。有難うございました。
原三渓に会うことが出来たと思う茶席が組まれていたらよかった・・・
次回を楽しみに、またお会いしましょう。
雑感を含めて 佐々木記
(写真上 臨春閣 中 住之江の間濃茶席 提供 及川博文)