太田新之介作品集
一年間に十数個の篆刻(てんこく・印章)を彫っている。小さなものは6mm角、大きいものは15㎝である。
中学生の頃からになるので、数としては相当数になると思う。
主として書を書いた時に押す目的で作るのだが、禅僧や芸術の分野で活躍している方たちのものも作っている。毎年、暮れになると年賀状用の篆刻を作るのであるが、多忙に見舞われるとつい、作り置きのもので間に合わせる。
2013年の分は毎年使えるというようなものになる予定。
印材は石、陶磁、竹、木、金属、象牙、木の実、紙粘土、消しゴム、芋、石膏、モルタルと多様である。多分これらの種類を彫ることによって材質の持つ特質を感受し、知り得ているのだと思う。
印刀(いんとう)は有名な鍛冶屋の作から、自作のものまで様々で、その折々に使い分けている。
「君看よや双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり」
良寛がこの古詩をよく書いていたというが、私もこの語が好きで、陶に彫り蒔絵で化粧をした。
彫りつける文言は、座右の銘や折々の自分の心境や感銘を受けた言葉などが多い。
この彫るという作業は私の場合、茶事に使う茶杓を削る行為に似て、それが大型化した作品が寺院や茶室に掲げる「扁額」の彫刻につながっている。
いずれにしても、何かに自分の気持ちを彫りつける行為は快感といってよい。
「篆刻一寸方形の世界に宇宙を見る」、と先人がいっているが、確かにいえると思う。
「君子の交わり 淡い水の如し」
人との交流は水のような淡い交わりがよし、という意味だが「淡交」の語源である。
「千歳楽 萬歳楽」
「ただ心田を耕す」
「雪月花の時 最も君を憶(おも)う」
一年の暮れになると、想い出される人が浮かんでくる。
出来ればもう一度会いたい人、会いに来てくれるといいなぁ、と思う人など。
また鬼籍に入った方はもう会うことはかなわないが、想うことはできる。
人間は相逢って又相別れるさだめ。
さだめとはいえ、人恋しい年の瀬である。