新之介文庫・近日発刊予定
(近日発刊)
太田新之介著 写真:堀田晃子
その時、私は茶杓を削る。
亭主は茶事に向けて茶杓を削る。その姿に託された秘かな思い。茶杓には銘が付けられ、席中で交わされる清談に花を添える。銘の謂れは作者の境涯を表し、対する客との相関を見せる。著者が、茶杓を削るに至った濃密な動機とは何か。
竹片は時空を超え、折々の想いを載せて語り始める。
あらすじ
本著は、二百回余の茶事・茶会を催す折に、著者が削り使った茶杓百二十余本の内から六十本を撰び、その作製過程や銘に秘められたエピソードなどを披歴した茶杓物語。
一本の茶杓が語る茶事には、日本文化の華「茶の湯」が濃厚に香る。
11、玉案下(ぎょくあんか)
私は、追善茶会のために茶杓を削る。
平成二十五年四月に第六回「雪堂茶会」が北鎌倉で催された。
三人の席主の内の一人となり、茶会の趣向にと茶杓を削った。古竹を選び、曲げ荒削りをしながら雪堂氏の在り日のことを思い出しながら、ふと手紙のやり取りを思い出した。
氏は常に唐紙(とうし)を使い墨書で消息をしたためていた。私も巻紙で筆を走らせ、まるで交流は相聞の文のような趣をもっていた。
歌を詠めば詩を返し、篆刻を施せば篆刻で応え、その往来は何年も続いた。私にとっては文芸の香りがする得難い歳月だった。文人墨客のたしなみを垣間見た時間でもあった。
私の書は詩歌、篆刻、画とともに我流である。ただ書の動きは禅僧太田洞水老師に倣った。他の三つは雪堂氏によって開眼したように思える。無聊を慰めることとはいえ、これら四君子の楽しみを、身をもって教えて頂いたのが文人小野田雪堂氏だったからだ。
文房四宝も洞水老師と雪堂氏によって眼を見開かされた。
硯は古端渓、墨は六〇年物の松煙墨、紙は三十年物の和紙、筆は奈良の別製。
日常的に筆を持つようになったのは母と雪堂氏の影響といえる。巻紙にしたためるのは茶事茶会の案内状や礼状で、この慣習にも恩恵を受けた。
「書は君子のたしなみ」と老師はいわれた。雪堂氏は「書は美しく死ぬための日常」といった。いずれも含蓄に富んだ言葉である。
手紙のやり取りの中で、氏が書く脇付け語が常に「玉案下」、私は「御座下」だった。玉案とは宝石をちりばめた美しい机のことをいい、貴下の美しい机の下に、という意味で、「机下」の脇付けと同意語である。
削りながら、この茶杓は雪堂氏に削り差し上げるものだと思い始め、消息文のように先生の座っている机の下に、との思いに至り、始めは銘を「御座下」にしようとした。
削り終え、仕上げの磨きをかけて、いざ茶入に載せてみた時、「玉案下」の銘の方がこの茶杓に相応しいと思えた。
「玉案下」は雪堂先生そのものだ、と。
当日の茶会はこの茶杓の銘で清談が交わされた。
氏と交わした手紙はほとんど残してある。破棄するには忍びない作品の香りがするからである。
以後、この茶杓を手にする度に手紙の宛名書きと親交の日々を思い出す。
竹片がもたらす述懐の喜びといってよい。
都々逸 主は文人言わせりゃ貴人 アタシゃ凡人また変人
竹 古竹 逆樋 長18.4㎝ 筒 煤竹 詰蓋 桐(自作)
造本体裁
判型:電子書籍
発売日:近日中発刊予定
著者:太田新之介
発行:新之介文庫