日本のすがた・かたち

2017年3月18日
列島の住人

IMG_3105.JPG近所にゴサを壁にしたトタン屋根の小屋が在り、身体が不自由で自炊ができないお婆さんが住んでいました。

「これをお婆さんの所に持って行きな。」

毎朝学校へ行く前、母の指示でした。

炊き立てのご飯と少しのお菜を持って、十軒ほど離れた小屋に通っていました。

陽の当たらない小屋周辺は臭く、苦手な役でしたが、「ありがとうね。」というお婆さんの穏やかで温かい声に、何となく良いことをしていると思ったものでした。その近所が協力してお婆さんの生活を支えていたことを後に知りました。

父親が漁に出て遭難して亡くなると、遺された子供は近所の人達が協力し、自分の子供と分け隔てなく育てられ、一人前の大人として世に出ていました。その何人もの人を知っています。

テンカンや認知症の人たちも近隣の助けで暮らしていました。

体の大きい者は、小さい者をいじめるな。弱い者いじめをするな。卑怯な真似をするな。これが町の掟でした。

これに逆らうと年長者のゲンコツが待っていました。

これらは私が育った漁師町の風景です。

逆に、今にいうプライバシーというものは無かったように思いますが、漁師町特有の運命共同体のような、支え合い、励まし合いの生活から生まれた風習だったと思います。

18の春、私はこの故郷を離れ、今日まで帰ることは殆どなく過ごしてきましたが、昨今のイジメによる自殺や、災害時の互いを思いやる復興状況をみるにつけ、幼い頃の暮らし振りを思い出します。

 

thB4PU79BZ.jpg日本列島に住む人々は日常的に地震、台風、大雨、大雪などに見舞われ、火山噴火などにも遭遇します。災害列島に生息している民族といわれる所以です。

先人から災害時における行動や救済方法は継承され、協働生活への心構えも知らず身につけています。災害復興の速さは世界一といわれているのも、自然環境より学んでいるもので、人間の行動の原点は気候風土にあると思わずにはいられません。

私は建築の仕事をしていますが、時折、人間が周辺にある自然の材料を使い、協力して、手で造れる範囲のもので生活をしてきた過去を思い浮かべます。

過大なエネルギーを消費することなく、身近にある自然素材を工夫加工し、いきものとして良好な環境を保って行く…。

天を衝く高層建築はあっても、解体時に皆が困らないようなもので、移築や再利用ができるという考え方です。

壊す時に原状復帰が難しければ、負の遺産としてあちこちが不必要遺跡と化します。

AI化やインテリジェンス化の建築(高度情報化建築物)が進む昨今。これからはも負の遺跡とならないように智慧を絞る必要があると思っています。

 

東日本大震災から5年、季節はめぐりまた春が来て、「木の建築」は私に建築のあるべきすがたを考えさせています。

 

  


2017年3月18日