日本のすがた・かたち
歌手の美輪明宏(81)が2日、2月28日に予定されていたコンサートを気管支ぜんそくのため中止したことを謝罪したと聞きました。
私は美輪さんの復帰を願いながら、昔を思い出しました。
「銀巴里(ぎんパリ)」は、1951年-1990年まで東京銀座七丁目にあった日本初のシャンソン喫茶でした。
「銀巴里」のスターと聞いてすぐ名が浮かぶのは、美輪明宏ですが、昭和27当時新宿駅でホームレスをしていた17歳は、「美少年募集」の張り紙を見て応募し、専属契約を交わして歌手デビューしたといいます。
他に戸川昌子、クミコ、金子由香利、大木康子、長谷川きよしらを輩出し、若き三島由紀夫、なかにし礼、吉行淳之介、寺山修司らが集い、演出に尽力した喫茶店でした。
私は20歳の頃「銀巴里」に行ってから、閉店までの30年近く通っていました。
パリのシャンソニエに似た店内はベンチ風の長イスが置かれ、ほぼいつも満員で、人気歌手の時など店の前に行列ができていました。
確か、土、日曜は昼と夜で、月曜から金曜までは5時頃から9時頃までで、リクエスト曲を書いて渡すと、唄ってくれました。私はいつも「ラ・ボエーム」を頼んでいました。
入場料は飲物付で二千円弱。いつも追加はビールで、なるべく一番前に座り、ほろ酔い気分でいじめ野次を飛ばしていました。引けた後、歌手たちと食事もしていました。
銀巴里閉店後は残った専属歌手が開店した店に行っていましが、その後歌手達が引退したこともあり、行かなくなりましたが、今でも銀座へ出ると当時のシャンソンを懐かしみ口ずさんでいます。
私はなぜシャンソンが好きなのか。
多分、新しもの好きの暇つぶしくらいと思っていましたが、50も過ぎた頃、自分の中ではシャンソンと都々逸が同一線上にあることに気づきました。
「粋と翳が洒落ている」、恋愛と死の表白の方向。これが一緒だと思ったのです。
シャンソンを唄うと恋しき人の面影が浮かびます。
銀座は未だに私の青春そのものです。
先日、跡地の銀座7丁目9番11号付近を歩きました。石碑を見て懐かしく思いました。
ほろ酔い機嫌で口ずさんだ唄は勿論「ラ・ボエーム」。
まさに青春の夢物語でした。
都々逸
アズナブールを唄った後で…
「じっとこのまま」聴かせておくれ 主にあずけたこの胸に
写真:往時の「銀巴里」の看板
丸山(美輪)明宏
TP ステージ風景
美輪明宏