日本のすがた・かたち
先ず、現在からこの世に生を受け物心ついたころまでを思い起こし、親兄弟から祖父母の記憶を辿り、そして名も知らぬ曾祖父母、またその親へと、そして10代前は、50代、100代前はと…。
そして現代に痕跡の遺る4万年前は、と想いを馳せます。
私は幼少から母の影響が強かったせいか、母をご本尊のように慕ってきましたが、なぜかこの数年は父のことを思い出すことが多くなりました。ルーツへの関心が高くなってきたせいかもしれません。
父は巾着網漁の大船頭をしていて私が高校3年の時に亡くなりました。父の記憶は相模の海とのセットで、今にして思うと将に「漁夫生涯竹一竿(ぎょふのしょうがいたけいっかん)」を地でいった75年でした。
印象として残るのは、伊勢海老漁に使う網の繕いや、自前の漁具を作っている姿と、半農半漁だったため畑で稲を刈るなどの農作業している姿でした。特に鉈や小刀を研ぎ、ノコギリの目立てをして、竹や木を割り削っていた姿は鮮明に目に浮かびます。
家族は13人の時があり、子供9人の大家族は大変な日々であったと想像できます。家長としてその一家を支えていたことを考えると、子供としてだけでなく敬服の他はありません。
中でも病弱だった私は手がかかり、父が56歳の子だったせいか、愛情をたっぷりかけたくれていたと聞き及びます。その3歳まで育たないといわれた私は、二十歳の頃感電事故に遭いながらも不思議と生き残り、若い頃から父のしていたように刃物を研ぎ、木や竹を削るなどをしています。後年、畑違いの建築家を志したのも偶然ではなく、普請道楽だった父のDNAのによるものと思えます。
地球上に二足歩行の猿人・アウストラロピテクスが現れてから4~600万年。その後原人、旧人類、新人類、旧石器人と営々と先祖は続いています。
さて私のDNA・Y染色体を遡って行くとどこに辿り着くのだろうか。
今年は先年上梓した『伊勢神宮』に続き、今から5万年遡りながら、我等の先祖がどのような木の建築で暮らしてきたかをテーマとした本をまとめたいと思っています。
勿論、途上で時の権力が書かせた「古事記」「日本書紀」などの作り話を精査し、私なりの日本列島の歴史の史実を掘り下げてみるつもりです。
本は『木の建築5万年』としようかと、書き溜めてきたメモの整理を始めたところです。
君の姿にゃ誰もが惚れる 紅いスカート今朝の富士
写真: 富士山 2017年1月7日AM7:00