日本のすがた・かたち
お宮の松近くの浜に作られた能舞台は、幻想的な雰囲気に包まれ、やがて、昇る月に呼応するかのように薪能が始まりました。
久しぶりに遭遇した夢のような情景でした。
薪が焚かれ、演者を幻のように観ながら、私は日本の伝統について思いを巡らせていました。伝統の持つ力の意味についてでした。
現在、私は伝統に根ざした木の建築群を造営したいと念じているものですが、その思うところはただひとつ、伝統の中に生きたいということです。
縄文時代より造られてきた木の建築は、およそ3万年を経て今日に至っていて伝統の本流といえるものですが、コンクリートや鉄骨という他の構造の建築はつい最近のもので、伝統という言葉が相応しくありません。
なぜ伝統が大切かというと、伝統は守るものではなく、そこに新たな創意と工夫を重ねて行くものだからです。
私の思う時間の単位は五百年です。その歳月を生きることのできる建築は日本では木造以外になく、縄文期から続き継承されてきた森林利用がその任にあたってきました。自然素材利用主義というものです。
イギリスの産業革命から始まった現代資本主義は近い将来行き詰まることになると思われます。人間は伝統から離れれば離れるほど一過性となり、新たな展開をみることはなくなりました。資本主義の限界がみえてきたということです。儲け主義は行き詰まり、変革をしてこなかった、つまり伝統に沿い、儲ける目的で変化をしてこなかった組織や企業が生き延び繁栄して行く時代が到来したようです。
700年の伝統を保持する能からは、歌舞伎や劇場舞踊などを生みましたが、おおもとの能は室町期からそのまま伝えられ、ますます輝いています。この原理原則こそ伝統というエネルギーに他なりません。
舟に乗り、月を背にして浜の舞台に降り立つ演者を見て、日本の幽玄というすがたとかたちを改めて観た思いでした。
(さぁー、私も伝統を足掛かりとして・・・)
都々逸
♫ 月と薪の炎に浮かぶ あれは彼の世の月の精
♫ 浜の舞台に薪が燃える 月が見下ろす人の闇
写真:あたみ海辺の薪能(MOA美術館提供)