日本のすがた・かたち
勉強することの楽しさに気づいたのは三十近くになってのことでした。
そして何年か後に、なぜ学問をするのかが分かりました。
受験のための勉強には苦しみが伴い、好きな勉強に勤しむことは喜びが伴うことも、このころ知りました。
学問の目的は、一流の大学や会社に入るためではなく、出世や金儲けのためではありません。もしそうだとしたら、目的を達成したら勉強する必要がなくなるからです。
人間はなぜ学問に勤しむのか。
一言でいえば、森羅万象を探求解明し、宇宙の真理と人生の真理を悟るためです。
古今東西の賢者で後の世に称えられている人は、これらの真理を悟り得た人たちといえます。
ブッダもキリストもムハンマドも大淡方(天之御中主)も孔子も空海も親鸞も、時代や背景は違っても皆、大悟の人だといえると思います。
学問を積み、目指すところは、「人間はいかに生きるか」という問いへの答えです。
「生まれてそして死ぬ」この命題に応えるものは「いかに生きるか?」に止めをさします。
何人も生存と生殖をベースとしたこの命題の答えを探しながら、生きていることになります。
世界の宗教はいかなるかたちであれ、この命題に明快に応えるものを持つゆえに成り立っているのだと思います。
齢七十を数えるころになると、いかなる来し方をしてきたのかを想いを巡らすようになります。
今朝思ったことは、私はいつの間にか「まともに、いい加減に、冗談に」生きるようになっていたことでした。この三つのなかに漂いながら生きてきたように思いました。
そして私に悟りはなく、「人生に意味なし」が自身に対する結語のような気がしています。
命を懸けるほど真剣に、まあまあ堅いことを言わずに、はぐらかし茶化して冗談のように、というのが現在までの心持といえます。
私が学んできた学問は、日本文化を「古神道」、「日本仏教」、「皇室」と三つに大別し、そこに「茶の湯」を加えた日本人のすがた・かたちの探求というものです。
その基礎となるものは日本列島の気候風土と木の建築で、建築は、人間の生活環境と文化をかたちづくる、基本的な要件という観点です。
これからも建築の設計の体験を通し、若者たちに日本人のすがた・かたちを伝達して行きたいと思っています。また、そこには面白い人生が待っているぞ、と。
「まとも」は和歌に、「いい加減」は俳句に、「冗談」は都々逸に。
この頃は感受性が鈍くなっているせいか、都々逸を多く作るようになりました。
それでも悶々とする日々に変わりがないのが不思議です。
人間は幾つになっても学徒だと思います。
写真:小野田雪堂画賛「苦吟人」
「老大支頤坐」 老大(君)は頤(おとがい)を支えて座る
「不知寂寞心」 知らず寂寞の心が湧いてくる
「推敲描不得」 推敲しても、しても描き得ず
「闘句夜沈々」 作句(設計)と闘うも 夜は沈々と更けてゆく
苦吟人 雪堂
この詩は先年小野田雪堂氏が、私の心境を自身になぞらえ画賛として贈ってくれたものです。
プランと闘い、夜がただ更けて行く私の毎日を知って励ましてくれたものでした。
時折この軸を掛けて自分のふがいなさを嗤っています。
苦吟人は学徒のひとつの姿です。