日本のすがた・かたち
未だかたちにならない構想をあれこれと立てている毎日が続いています。
この様な時には必ずといってよいほど、何かマグマのようなものが溜まり、爆発寸前となり、無性に他のことをしたくなります。
この度は太い筆で書を書きたくなったことと、土を捻り焼物を作りたくなったことでした。
幸い焼物は数日前の未明から始め、何日かの朝を経て、この連休に行う窯焚きに間に合うことになりました。今朝、窯に無事詰めされたと写真入のメールが届きました。陶芸仲間のお蔭です。
書に対かう準備はそれなりにしていて、大判の和紙や筆、硯を調え、さて墨をと思い昨夜仕舞い込んである箱を開けたら、懐かしい「にぎり墨」が出てきました。
三十数年前に奈良の墨の老舗を案内された折に作ったものですが、十五年ぶりの再会でした。
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にぎり墨
奈良にある古梅園、玄林堂は墨の老舗である。何百年という店の歴史は、奈良にこそふさわしい。専門家ではないので墨の良否は良く解らないが、白い設計図に書く鉛筆の黒の微妙なつり合いが、水墨画や書に向かわせ、以来、墨の深い色合いに魅せられている。
室内の作業を見学させていただいた。ススを採取する蔵の小さな炎の集まりは、闇の中で神秘的に燃えていた。生墨をこねて型に入れ、見なれた墨にしていく職人の動作は、伝統を感じさせるものだが、動きは一分のすきも無く、素肌についた墨を衣装に、厳しい修練を経てきた舞のように見えた。
すすめられ、「にぎり墨」をしてみた。にかわと香料の生墨は、生き物のような弾力を秘め、手に墨がつくかつかないかのほどよいもので、握り跡と指紋がくっきり残った。
三箇月ほどして、桐箱に入り送られてきた。ひと回り小さくなっているが、新墨の香を放っていた。(後略)「建築相聞歌」(1986年刊)
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この墨はその後、文人墨客との交流のきっかけをつくり、禅僧や書家、篆刻家、画家たちとの架け橋となりました。
今回はこの墨を使ってみようと思い定めてみましたが、結局のところその折の思い出や、敬愛する先達の顔が浮かんできて、少し辛くなり、このまままた保存することにしました。
墨は磨ると消滅する定めです。思い出も消え失せることを恐れたためです。
夥しい日常を生きて行く後ろには、良くも悪くもある思い出が残ります。その思い出が、ほんのわずかな墨の塊が、私の支えとなってくれていたことを改めて思います。
思い出こそが生きている証、ささやかな思い出であってもそれがすべてを支えてくれていることがあるものです。
写真: 上 にぎり墨(両手) 古梅園製 下 玄林堂製
TP: 奈良 古梅園