日本のすがた・かたち
シリア、イランやサウジアラビアなど中東諸国の国家間、民族間の紛争が絶えません。いずれもイスラム教国家であり同胞です。
何故だろうかと考えます。
血なまぐさいニュースを聞くたびに思うのは、人間の生存欲のことです。
中でも「食べる」こと、生存するために最も必要なものは水と食料です。食物は自給が難しいので、購入するためのお金が要ります。つまり生存はお金の獲得ということです。
他民族を征服し領土を奪うことも、生存と生殖のための戦いに他なりません。
大昔の日本ではこの種の争いは有りませんでした。
木の建築を造りながら私は縄文時代に思いを馳せることがありますが、日本列島では何故争いや殺戮の痕跡が残っていないのか、と不思議に思っていました。
一万数千年続いた縄文時代には、殺傷力のある武器が存在していなかったようです。
日本に武器が初めて伝わったのは、紀元前8世紀頃といわれます。半島から北九州に入ったようです。紀元前4世紀頃の北九州の遺跡から殺傷痕のある人骨が発掘されるようになり立証されています。
それまでの日本列島は数万年前から食料・水資源が豊富にあったことにより、人々は争う必要がなかったのです。
それに対して大陸や半島の、特に肥沃の土地に住んでいなかった人たちは奪い殺戮しなければ生きていけなかったようです。
これが民族の精神性や潜在意識に重大な影響を及ぼしでいるはずで、日本人が他民族を征服し、奴隷化し植民地化してこなかった最大の要因は、食料や水資源が豊富なところの島国で育まれた精神によるものと思います。突き詰めれば気候風土が育んだ精神性ということになります。
現在の中東も砂埃の風土ではなく、森林に覆われた国土であったなら、餓死者や大量の難民が発生することもなかったのでは、と思わずにはいられません。
我が国の潤いのある気候風土は穏やかな人間性を育て、自然の有様は美的審美眼を養い、物事に調和する智慧を育み、6層構造の言語を生みました。
その意味でも日本人は人類の理想形といえる文化を保持している希少な民族で、世界に平和をもたらすことのできる唯一の国といえそうです。
縄文時代から造り続けてきた木の建築は、今日に至り数こそ減少していますが、先人の智慧の結晶として息づいています。
先人が創造を重ねてきた木の建築は、斬新で合理的でそして生きものとしての人間の精神に安寧をもたらします。
できることなら大自然の中で食料を得て、争わなくても済むことを工夫し、縁のある人たちと励ましあって木の建築を造り、暮らし、その智慧と記憶を後の世に伝えてゆくことのできる人生を目指したいものです。
天地自然の理に適った生き方とは、このようなことだろうと思う昨今です。
写真: TP 上 シリアの砂漠
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