日本のすがた・かたち
正月早々北朝鮮では核実験を行い、内戦の続くシリアでは飢えで多数の人たちが亡くなっています。
地球上では日々戦いが絶えず、話し合っても祈りを上げても、殺戮や飢えは何時の世もなくなりません。有史以来の歴史がそれを物語っています。
どうすればいいのかは永遠の問いですが、多分人間がこの世に存在する限り、争いや殺戮がなくなることはないと思います。
これは自分の中にも争いあう相手がいるし、ましてや親兄弟や家族で争い殺しあう有様をみれば分かることです。哀しいことですが、人間は争い殺しあう生きものなのです。
人間の一生で、濃密に交わる人は親兄弟から数えて両手足の数二十指に満たないといいます。私が毎朝仏壇にお参りして名を挙げる人はそれでも15人。70年間生きて来ても、です。
地球上に70億人いても交わるのはたった20人そこそこなのですから、身近な人とは円満な交流ができるはずですが、人間関係は親しくしている者同士が一番難しいものです。
親しくなるとエゴが幅を利かすことになるからです。
エゴは私という人間を成立させている原理のようなものですから死ぬまでなくなることはありません。出会いと別れの繰り返しは死とエゴの繰り返しでもあります。これは個人ばかりではなく、国家間にもいえることだと思います。
人間の祈りは、届かないことを前提にしているような節があります。そうして届かないからこそ祈らずにはおられない人間の儚さを思います。
私に出来ることは、世界の平和や人類の幸福を目指すことではなく、関わる僅かな人たちとの間で争いをしなくても良いような日常を送ることです。
新年にひとつの言葉を選びました。
「愚公移山(ぐこうやまをうつす)」です。
この語は先師小野田雪堂が、18年前に贈ってくれたものです。
「愚直に見える行動も信念を持って続けるなら山をも移すことができる」
「新之介さん、その構想は天の理に適うよ」。
構想とは茶の湯のステージ造営計画に至る「Sの計画」でした。
師は私を励ますため磚(セン・カワラ)に篆刻し、手紙を添えて送ってくれました。
去年は私にとって一区切りの年でした。
新年を迎えて思うことは、シンプルなことでした。
「先人の優れた記憶を遺したい」。茶の湯のステージ「三島御寮」造営です。
構想は第二ステージに…。
写真: 篆刻 「愚公移山」 小野田雪堂刻