日本のすがた・かたち
心得10カ条
1.誰のため、何のために設計をするのか。
2.己の栄誉や賞をとるためではないか。
3.何年先まで使用可能か。
4.資源を有効に使い適材適所になっているか。
5.材料、造り方、工事費に精通しているか。
6.維持管理や手入れを知っているのか。
7.解体処分時に環境に負荷を与えないか。
8.関わる人たちの力を合わせられるか。
9.次世代のためになりそうか。
10.美しいと思えるか。
以上は30年ほど前から使ってきた仕事の「心得10カ条」です。
私はこれらに照らし合わせて、「地球上のどこの国のどこの地に造るのか。」というフィルターにかけることにしています。
どのような仕事でもこれに照らし仕事をしてきたように思います。
ひたすら鉛筆を走らせ、トレーシングペーパーに向かっていた設計表現法もこの頃は見なくなり、非効率で面倒な手描きの場面もなくなってきました。
手描きこそが設計の姿だ、と頑張っていても効率や情報量においてはコンピューターに勝てるわけがなく、CADの図面の軍門に下っているのが現状です。
これからはコンピューターの進化により、より高度で緻密な設計がいとも簡単に、それも誰でもができるようになります。
設計に必要となる膨大なデータ使用が可能となり、手で設計してきた頃の設計技術は必要でなくなり、検索とオペレーター技術があり、それらを目的に合わせてコーデイネートできれば、どのような大建築でも設計することができます。
現に人工頭脳を備えたロボットで設計はできますし、CGや3Dプリンターを利用すれば
巨大な模型を作るように実物大の建築ができます。
多分世界中の建築データが集積され、利用すれば信号機と同じような建築が沢山生まれてきます。利便さや効率化、経済的という点では圧倒的なものといえます。
しかし…。
これらは機械であり、建築の本質的なところにどこまで迫ることができるのか、これが問題です。
建築の使命である「人が健やかに暮らし活動できる」空間作りの本質は、いかに文明の利器が発達しても、別の次元にあり、人間の創造を超えることは機械には無理のように思います。
人間が具備している「ひらめき」。これが立証するはずです。
私の考えでは、先祖が縄文時代の昔から造ってきた建築も、現代に至りまた未来に向けて造って行くだろう建築も、本質的には何も変わらないように思います。
材料は新に開発され、造り方は工夫されても、建築が持つ使命は「生きものや人間のためのもの」であり、その真なるところは時代を超えて不変だからです。
しかも建築は人間の生活環境と文化をかたちづくる基本的な要件であることは疑いなく、つまり将来のための「生活の礎」を造ってゆく側面もあります。
先人はそれを営々と育み積み重ねてきました。
縄文の時代から継承されている日本の木造建築には、祖先の優れた記憶が息づいています。
私は、この美(うま)しところを次代に伝えて行きたいと願い「三島御寮」造営計画に取り組んでいます。
その造営計画推進の母体である(株)三島御寮ネットワークの佐々木広志社長が、数日前に昇天しました。突然盟友を失い、言葉がありません。
人はまた往くものと識る冬空に 昇るいのちの影ぞ愛しき