日本のすがた・かたち
人間は友人や恋人がいなければ寂しく、求めます。
物やお金がなければ困り、求めます。
また人間は、友人や恋人がいるために苦しみ、離れます。
また物やお金が余れば苦しみ、悩みます。
とかく人間とは日々欲しいものだらけの、厄介でわがままな存在です。
釈尊はこれらの欲を苦とし、人間の真のすがたといいました。
生者必滅、会者定離(生きているものは必ず死に、会うものは離れるが定め)といいました。
先年、このことに改めて気がつき、狂歌に詠みました。
人の世はないものねだりに暇つぶし 色と欲とにやきもち絡めて
先日、これから結婚するという若者と話をしました。
私の結婚観を聞きたいとのことでした。
彼は「恋愛イコール結婚イコール幸せ」、という構図でした。
私見は、「生殖作用イコール生活行為イコール幸不幸」であると伝えました。
昔は結婚することを「所帯を持つ」といいました。中々含蓄に富んだ言葉で、言いえて妙です。
つまり結婚とは生活をするということに尽きることです。熱烈な恋愛感情もわずかな期間で失せ、唄の台詞ではありませんが、「あんなに激しく燃えたのに…」というような恨みの人生こそが真の結婚のすがたというものです。
異性と関わりたいという行動は、脳の作用であり、子孫を遺すための遺伝子の企みで、生殖を促がす行為に他なりません。
恋愛とは行為であり、真実の愛とかというものとは別ものといえます。ですから行為にはすぐに飽きがきます。
恋愛も結婚も一時の熱病のようなもので、熱が冷めて現実の生活に戻ると、悲惨な毎日が待ち構えているということになります。「結婚は人生の墓場」とはけだし名言です。
でも、これからという者に、余りネガテイブな話はまずいと思い、「いや、そうではない」、と古今東西の先賢がいっていることも伝えました。
「それでは夢がないな・・・」、と彼はいいました。
夢は幻と私は応え、夢は創って行くものと諭しました。生活していると必ず型が定まってくるので、その時を楽しみに辛抱することだと…。この回答は少しまやかしのようだと内心苦笑していましたが…。
最期に、茶の湯にいう「君子の交わり淡い水の如し」、つまり淡交に心がけることこそ人との交わりが長く続く秘訣だと伝えました。
そして茶の湯に身を浸すといいよ、と添えました。
七十年も生きていると、少しは人間のことが分かったような気になります。
が、実のところ、~ないものねだりに暇つぶし~の毎日です…。
写真: 上 インド ビハール州 霊鷲山頂にて
(朝陽を浴び、生者必滅を深く感じたブッダの聖地)
下 篆刻 「君子之交淡如水」 陶印 自作
TP インドブッタガヤ近郊 スジャータ村の月
(会者定離を深く感じたブッダの聖地)
撮影:堀田晃子