日本のすがた・かたち
住宅の設計をしながら思うことがあります。
なぜ日本人は履物を脱いで家に上がり、西洋人は靴を履いたままで生活をするのか、という古くて新しい疑問です。
調べてみると答えは様々で、多湿な風土ゆえに素足を好んだから、清潔を好む国民性ゆえに、また神仏を持ち出して「結界」説とする見解があります。
『対訳日本人のすまい』(平井聖 市ヶ谷出版社 1998)に次のような記述がありました。
「日本人は、いつから、また、なぜ家の中で履物を脱ぐのであろうか。この習慣は、おそらく弥生時代から続いていると考えられる。日本は道路がきたないので、土足だと家の中がよごれるからと考える人がある。
しかし、家の中を靴ばきのまま歩いているヨーロッパの人たちも、雨が降ればぬかり、照ればほこりの舞う中世から、家の中を靴ばきで歩いていた習慣を続けているのにすぎない。外敵から襲われる心配がほとんどない日本では、すぐ逃げ出す必要がなく、履物を脱いでゆっくりと家の中でくつろぐことができたのであろう。床の上に直接座る習慣もあって、家の中を清潔に保とうとするところから、この習慣が定着してきたと考えられる。床に座る生活様式が、家の中で履物を脱ぐ生活習慣を生んだと考える人もいる。
中国大陸における漢代の人々の生活をみると、土壇の上に建てた家の中で土壇に座っている。もちろん直接ではなく、敷物を敷きその上に座っているが、特に板敷の床があるわけではないし、家の中は土足のまま歩き、その床に敷物を敷いて直接腰をおろす。したがって座式の生活も、家の中で履物を脱ぐ生活の直接の原因ではない。原因は明らかにできないが、日本人は1000年以上、この生活様式を保ち続けている。」
私はこのところ国会の安全保障法案審議の中で、安全な生活とは何か、を改めて考えていました。そこで「-外敵から襲われる心配がほとんどない日本では、すぐ逃げ出す必要がなく…」という一文から考えたことは、西洋人の握手と日本人の挨拶作法、洋食のテーブルマナーと和食の作法、土足と素足の違いのことでした。
握手は、相手の利き手を塞いで安全を確認するため。
テーブルマナーは両手を上に出すことで、下から銃で撃たれるのを防ぐため。
家の中で靴を脱がないのは、いつ襲われても逃げられるようにしておくため。
先人が伝えてきた日本人の生活風習や作法は薄れてきてはいますが、未だに履物を脱ぐ習慣は続いています。これはいかに日本の社会が安全であったかを示すものです。
この良き風習を守り伝えて行くには、外敵に襲われない備えをしておかなくてはなりません。
世の中が学者の考える通りに動くのなら、この世はすでに平和になっているはずです。 武器を持たず、互いに手を取り合って生きているはずです。
なぜそうなっていないのか。
現実は常に弱肉強食です。
何でもものが自由に言える国の中で、何事にも反対のための反対としかいえない野党議員の幼稚さに失望しています。
日本が戦争国家になるような言い回しは、意図的に過ぎるようです。
反対なら対案を出し、中身の濃い審議をするべきです。
戦争は避けるが肝要で、話し合いで解決するのが一番です。
しかし、素手で手を出さない者に向かって、言語道断と武器を持って襲ってくる者には話し合いは通用しません。
憲法9条を書いてあるお札を額に貼ってあれば敵が襲わないというような理屈は通用しません。
設計をしながら、素足で生活するためには外敵から身を守らなくてはならないと改めて思うこの頃です。