日本のすがた・かたち
この頃、何時もスマホを掌にしているようになりました。
ここ数年はスマホ派で、パソコン以上の付き合いをするようになっています。
原稿を鉛筆書きしていた頃が懐かしく、ずっと昔のことのように感じます。
文章は手書きでしか出てこなかったのに、近年はキーボードやスマホでツンツンでなくては書けなくなっています。この推移はどうしたことか、と考えた時期もありましたが、今では疑問にも思いません。
現代人は電気エネルギーを使って「便利」を手に入れてきました。
その結果、便利という利器には抵抗できないことを知り、人心の荒廃や不信感、猜疑心、中傷誹謗、詐欺、性犯罪などの増大を招きました。便利さへの代償のようです。
ネット上のコメントも面白くて読みますが、これほど一人ひとりが発信局となると、議論百出で収拾がつかなくなっています。炎上など火事場用語だと思っていたのに…。
仕事柄鉛筆を多用していることでスマホとの遣り取りの時間を調整しています。が、いえいえ、何かといえばスマホ様となっているのが現状です。
この頃は、「スマホ大明神」と崇めている自分を横目で見ていますが、さすが眼の疲れには勝てなくなってきました。
眼、耳、鼻、舌、身、意(こころ)で物事を感じることが少なくなっている今日この頃を象徴することがあります。
若い建築家たちはパソコンとデータさえあれば、超高層ビルであろうと茶室であろうと設計してしまうということです。
「建築工法も文物も知らず、歴史観も持たないものは本当の建築をつくることはできない」、と言っている私も、精密なCGパースを見るにつけ、(この方がいいかもなあ~)と思う始末。
世界遺産登録が話題になっていますが、過去の建造物ではなく、これから世界遺産になるようなものが造れるだろうか、と心細くなっています。
それでも胸を張って、「手に得て心に応ず」だ、と若者にいっています。
味気ない人間にならないように祈りながら、「スマホ大明神」を掌にする昨今です。
写真: CGパース 河邑石水「空中散歩の美術館」
2010年国際コンペティション JARA大賞「美術館・博物館建築を描く」入賞作品