日本のすがた・かたち
先の大戦で亡くなった祖父母や父母世代は310万人といいます。
尊い命が奪われた戦争は誰もが非難し、恨み呪いあいます。
今に生きる人たちは、口を揃えて戦争反対を唱え、戦争は愚かな行為で、決してしてはいけないと叫びます。
憎しみあい、殺しあうのは人間のすることではないと諭します。
日本列島に先祖が棲み始めてから今日に至るまで、我が国でも戦の歴史が続いてきました。
縄文時代には戦いの痕跡は見つかりませんが、弥生時代から大陸や半島から侵入してくる渡来人との戦いが始まり、国内でも62のクニが覇を競うようになり、以来、世界の国々と同じように戦に明け暮れた歴史が続いてきたのです。
現在に至っても戦争の火種は消えません。
「この過ちは二度と繰返しません」と戦後70年も叫んできていますが、この願いや希望も、何時潰えることになるのか分かりません。
人間はなぜ争うのでしょうか。
今日もイスラエルとパレスチナは殺し合いを続けています。
紀元前13世紀頃活躍したとされる古代イスラエルの民族指導者のモーゼは、十戒で、「汝、殺すなかれ」と言っています。他の宗教も、人を殺すことは神や仏の裁きを受けると教えています。しかしその戒律は神の名の下に意味をなさないものになっています。共に神の名を叫びながら人を殺し合っているからです。
凡そ地球上に生きる人間は、生き物を殺さないと生きていけず、人殺しや家畜殺しは絶えません。他の生物や植物の命をも絶って生きています。人間は他の生き物の命を奪わなくては生きて行けないことになっているということです。
そして人が殺しあう歴史は絶えません。
誰がどのように叫んでも、戦いのない時は訪れないというのが真理のようです。
私は戦後繰返されてきた「この過ちは二度と繰返しません」という言葉に違和感を覚える一人です。
では、祖父母や父母たちは過ちを犯した愚かな者たちだったのか。
何時もこの疑問に行き着きます。
祖父母や父母たちは人殺しをするようにしてきたのか。
そうではないと思います。
少なくとも私の知る限りの祖父母や父母世代は、人間として尊敬できる生活を営んでいたと思います。今の私たちより遥かに人間の尊厳に満ちた人たちが多かったと思います。
「なぜ戦争を起こしたのか」。ここにヒントがあります。
戦争を起こしたのではありません。
状況にしたという見方もありますが、したくない戦争をしなければならない状況になっていたからです。
日本にいて平和を祈っていることは誰でもできます。祈るのは大切なことですが、それで戦いはなくなりません。天皇陛下もローマ法王も誰も彼も平和を祈っています。つまり慣習と道徳だけでは平和は訪れないのです。
日本人は日本の国土の中だけで暮らし、他国と接触せずに生きてゆくことはできません。
日本の、世界の平和を望むなら、戦いを厭わず、その人殺しをしなくて済む付き合いや、良好な関係維持をする智慧を用いる他はないようです。
これは家族でも友人や近所付き合いと一緒のことです。
なぜ人は争うのか。
この問いに明確な答えはないと思いますが、人間は争うようにできているのだと思うほかはないようです。
私は先の大戦について、祖父母や父母世代が愚かな人たちだったとは到底思えません。むしろ感謝し誇りに思っています。たとえ東京裁判でA級戦犯含め1,000人以上絞首刑にされた方々でも。戦争に正義はないからです。
「国は大きいといえども、戦を好めば必ず滅ぶ。
国は安らかなりといえども、戦を忘れるならば必ず危うし」
戦争は日本から起こさない。他民族を従属も隷属もしない。先人の智慧に学び、そこから日本の世界の平和を考え実践して行くことが戦没者の労苦に応えることだと思っています。
戦争体験のない私は、日本の国土に適した木の建築造りに励んでいます。
先人がしてきたようなことを継承しながら…。
写真 地に伏し終戦の玉音放送を聴く父母世代
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