日本のすがた・かたち
ノロウイルスやノタウイルスが猛威をふるっています。
鳥インフルエンザも毎年強力になっているようです。
口を始め手足の身体の内外を清潔にして、消毒、除菌を心掛けても時期になるとウイルスが私たちの生活を脅かします。
そのウイルスたちは進化していて、以前効いていたワクチンや薬では死滅しなくなっているようです。つまり人間より適応能力に優れているということです。
そろそろ花粉の季節です。
毎年、花粉症に悩まされる私は、この時期になると、全国に植えられている杉の木を伐採することを考えます。花粉症悪の根源は杉の木にあるからです。
戦前戦後の私たちの先祖は、山という山に杉や桧を植林し、孫の代にそれを利用できるようにと骨を折ってくれました。
しかし、経済的な事情から山を放置したため、大量の花粉が飛散することになりました。
現在の中国から飛来しているPM2.5と同じような現象です。
なぜ、目先の利益や効率ばかりを追い、住環境に負の影響を与えることをするのか。環境という誰の所有でもないものを痛めつけるようなことをするのか、理解に苦しみます。
「食って行けなくなる」、「利益にならない」、「環境は後回し…」
環境保全については、どうもこのような意見や考え方が常識とされています。
私は考えます。
カブトムシやカマキリなどは、ノタウイルスなどに感染しないのだろうか、と。
また人間は命ある限り、敵とするウイルスに勝てないだろうと。進化のスピードに差があるからです。
何でも消毒、除菌する異常なまでの潔癖症は、果たして奨励すべきものなのでしょうか。
その内にスマホとともに、消毒スプレーや除菌剤などを携帯していなければ、生活できなくなるのではないか、と考えてしまします。
臭いを追い払い、過剰とも思える除菌の生活風習には抵抗があります。
木や土や紙の家に住み、自然の恵みをダイレクトに得ていた時代に、もう一度回帰できないものだろうか。
地上に存在する素材をなるべく変質させないで材料とし住環境を整える、と先人は伝えてきました。
私は自然から遠のき過ぎた材料による建築ばかりが増えることを危惧します。
私たちもこの地上に生息する、生きものの一員だからです。
自然の理から離れすぎた原子力利用などはそろそろ考え直す時期がきたと思います。
私たちは、46億年の自然環境をむやみに変えていい権利を有しているわけではないのですから。
花粉の飛散が始まる時期になると、私は木を伐る夢をみるようになります。
(写真 花粉の電子顕微鏡写真)