日本のすがた・かたち
どういう分けか明け方に夢を見ることが多くなりました。
その内容もなぜか物事の判断や可否を暗示するもので、現在取り組んでいる建築のすがた・かたちを始め、諸事の良否がおぼろげながらですが、この明け方の夢の中で定まることが多いのです。
今朝も夢の中で懸案の方向を得て、起きてからそれを実践しています。何とも不思議な生活です。
この傾向は若い時分からあり、一時、「夢日記」をつけようかと思ったこともあります。
自分の中では、今現在取り組んでいる諸事が、明け方のうつらうつらの眠りになると脳がリラックスして、解答が抽出され、スクリーンに映像となって出てくるのだろうと理解していますが、それにしても、覚めている日常を夢がリードしている不思議さがあります。
京都栂尾高山寺の明恵上人の「夢日記」ではないですが、夢が現実で、覚めて活動している昼間は現実ではないのでは……、と思うことも度々です。
(そうだ!現実とは夢なのだ。この肉体はある時間帯になると天(宇宙)とチャネリングを始める波動体となる。その顛末が人生航路の澪標となるのだ。
そうなると、眼の前の現実は夢の続きなのだ。人との出会いも夢なのだ…)
〈言語明瞭、意味不明の誰かとのつぶやき…〉
昨日も今日も、このような分けのわからない妄想の中で過ぎています。
私にとって、この妄想の気持ち良さは例えようのないもので、他に話せるものではありませんが、苦しく悲しい夢も、嬉しい楽しい夢も、私という夢出し装置がその折々に反応するのが現実です。これには軽重もなく深浅いもなく、是非善悪もありません。
今、私はこの一文を書く夢を見ているのです。
今朝にできた都々逸
”夢のつづきで覚めねばよいが 見果てる夢も夢のなか” (Sのプロジェクト)
(写真 夢のなかでできた土笛 左から生作り、漆金箔仕上げ、素焼き 2013.6月作 丹波お砂焼 L:75㎜ほど)