日本のすがた・かたち
良寛が貞心尼に歌う。
「霊山の釈迦の御まえに契てし ことな忘れそ世はへだつとも」
貞心尼の返歌。
「霊山の釈迦の御まえに契てし ことは忘れじ世はへだつとも」
良寛六十九歳、貞心尼二十八歳のとき二人は出会った。
それから四年の歳月に交わした和歌は、珠玉のような相聞歌(恋歌)でした。
その中に「霊山(りょうぜん・霊鷲山)の釈迦」が出てくる歌が二首あります。同じ三十一文字の中で違いが二字です。
二人は出家の身であり、天竺(インド)にある釈迦が晩年過ごし説法をした霊鷲山(霊山)は最高の聖地であり、釈迦牟尼仏そのもののはずです。
その釈迦の御前で二人は何を契ったのか。
若い頃の私は、なぜかこの和歌に惹かれ、いつしか「釈迦と霊山」がひとつとなり、以後、この字句が仏教を学ぶキーワードともなっていました。
先月、何時か、と思っていた霊鷲山を訪ねることができたのは幸運でした。
未明から参道を登り始めて間もなく、東の空が明るくなり、悠久の大地が紅に染まり始めました。私は高揚しながらこの和歌を暗唱していました。途中で霊山橋を渡り、鷲の頭をした山頂で五山の大気を深く吸い、般若心経を唱え、ご来光に浴しました。同行の方々は朝日で顔が輝やいていました。
釈迦は人間の苦しみを、「生老病死」の四苦とし、それに次の苦しみを加え説いています。
愛別離苦(あいべつりく)・ 愛する者と別離する苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく)・ 怨み憎んでいる者に会う苦しみ。
求不得苦(ぐふとくく)・ 求める物が得られない苦しみ。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)・五蘊(人間の肉体と精神)が思うままにならない苦しみ。
霊鷲山での思い起こしは、普段忘れていたこれでした。
これらの苦しみは全ての人間が平等に持ち合わせているもので、誰が多くて誰が少ないというものではなく、人生時間の経過と同じように貸し借りもできません。
釈迦が説いた無上甚深微妙法(む じょうじんじんみみょうのほう)は、ホモサピエンス共通の意識だと改めて思い起こしたものでした。
帰りに、巡礼が杖にする竹を貸しだす男を口説き、一本譲り受けできました。霊鷲山の杖です。この竹で茶杓を作りました。銘は「霊鷲山」にしようかと思っています。
和歌、良寛・貞心尼、坐禅、仏法、木の建築、唐・天竺、歌舞音曲、茶の湯……それらが、霊鷲山如月参りへの道のりでした。
霊山の仏の跡を訪ね来て 今を生きよとの我が聲を聴く
(人の幸不幸は誰が決めるのか。誰もきめられないよ。自分だよ、そう思う自分のこころだよ。だから幸せに思えるように生きていくようにするといいね)
(人間は皆、幸せに思えるこころを作ろうと思いながらも、そのように思えないことになっていることも分かっているようだ…)
(写真 鷲の頭といわれる霊鷲山山頂 下 茶杓に姿を変える、巡礼のインド産竹の杖)