日本のすがた・かたち
兵庫県篠山市周辺の特産でもある丹波焼は、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前とともに日本六古窯の一つに数えられ、長い歴史と伝統を継承して今日に至っています。
丹波焼の始まりは、近年の発掘調査により、平安時代末期とのことが確認されていて、篠山町から発掘された窯跡からは須恵器の焼成窯跡が見つかっています。いずれにしろ古くから作られてきた焼物です。
室町時代の丹波焼は米や水などの貯蔵用に用いる無釉で大型の壷や甕、穀物や豆類の粉を練ったりする擂鉢などで、末期に至り船徳利やラッキョ徳利などの大型徳利、桶、盤、そして山椒壺といった生活用品がほとんどでした。
桃山から江戸初期にかけて、小堀遠州が好んで関わったことから、茶陶としてデビューしました。以後、茶人や好事家の間で声価が高かくなったといわれています。しかし備前、伊賀、信楽といった個性的な茶陶の特色が薄く、次第に衰退しました。現代に至っては周辺の大半の窯で備前風の焼物を作るようになったため、丹波焼の特色ある茶陶は姿を消しています。
陶芸家佐々木泰男氏はこの丹波の土に魅され、原土にこだわりを持ち、現地を訪ねるなどして、数年前からその原土で成形したものを窖窯(あながま・穴窯)で焼成しています。今回も、ケヤキ、クヌギ、ヒノキ、スギ、マツなどの薪で、七日間ほど焚き、古窯の持つ特色を再現しようと懸命でした。
私は三年前からこの原土で焼く縁があり、今夏の窯に入れて頂いた中から、この茶碗が出ました。
窯から出てきた時、胸が高鳴りました。「この美しさが丹波の本歌だ!」と思ったからです。
少し大振りの茶碗ですが、今年11月末の「口切の茶事」で、5人分の濃茶を練る予定にしています。
江戸中期から、丹波の茶陶を作る陶工はわずかになったといいます。遠州の頃からの名品も焼かれていません。薪で焼き締められた土は、黒々とした艶を見せ、薪の灰がかかり融けた自然灰はライトブルーやグリーンの色を呈し、火の回りにより黄土色の景色が現れています。いつものように紐と手削りで作った一碗です。
数年前から焼物の好みが伊賀から丹波に移りました。今は丹波で茶事の楽しみを倍加させています。
さて、茶会記には銘を何と書こうか、「再中興」とでも…
( 丹波大井戸茶碗 口径 16.2×14.4㎝ 高さ 8.7㎝ 2012・8月作 丹波の原土使用)