日本のすがた・かたち
この二ヵ月ほどで何人もの知己を亡くしました。
「人類皆兄弟」の名言がありますが、人の一生はそれこそ20人に満たない人たちとの縁で始終するといいます。人生は数少ない知り合いによって形成されているということです。
高齢になってみると今更のように人の出会いと別れが気になり、知り合いが次々といなくなると、ああ、これが歳をとることだと思わざるを得なくなります。
知己減少、気力体力減少、認知力減少、増えるのはシワと白髪と忘れ物と歳ばかり。つまり生きるエネルギーの減少が実相ということです。
生者必滅、会者定離、誰もがこの自然の真理から逃れることはできません。
歌の「川の流れのように」ではないですが、人は皆生まれてから川を下り、河口という死に向かう人生時間を費やす、それが人の一生ということになるといいますが、では、その一生(一期)という人生に意味はあるのか、と私は問いかけます。
「人生に意味無し」。これが私の人生の見方です。
「じゃ、人生に意味が無ければ、何もしなくてもいいのか?」、との自問もありましたが、回答は徹頭徹尾「人生無意味」でした。
産まれてから、飲んで、食べて、出して、寝て、動いて、泣いて笑って、息絶える。この自然の哲理に何の意味があるのか。萬人皆同じことで、生と死にさしたる意味はないではないかと。
先日、知人に書を所望されて、何れ個展の為にと思って書き溜めてあったものを整理しました。30枚ほどの中から出てきたのが「一期(人生)無意味」の一行物でした。5年前に書いたものですが、書に向かう時の心境を覚えていて、一気にこの言葉と出会った40余年前が甦りました。曹洞宗師家の太田洞水老師に座禅指導を受けていた時、老師に「而今(にこん)」と共に頂いた禅語でした。
時間の観念は現在、過去、未来の他にもうひとつあります。今、今、今という刻々に移ろう時間です。
只ひたすら刻々の時を生きて行くようにすると良いですよ…。人生には意味というものはありませんから…。
老師は当時の私の苦悩を見抜き、「今を生きることだ、人生に意味は無いのだから」、といわれました。
今、書を前にして、本当に人生には意味というものはないなぁ、との感慨にふけっています。
意味のない人生も乙なものだな、とも…。
写真:一行「一期無意味」自書