日本のすがた・かたち
縄文中期の集落遺跡は全国各地に点在しています。
そのいずれもが竪穴の掘立式というものといわれます。
竪穴式は地面から数十センチほどの円形に近い穴を掘った土床で、掘立とはその円形周囲に柱を立てるための穴を掘り、柱をそのまま土中にさす架構をいいます。縄文中期から弥生時代にかけて私たちの祖先が住むために造った建築の殆どはこの形式でした。
竪穴式は弥生時代に姿を消しましたが、この掘立式工法は驚くべきことに今日にまで継承され、しかも我が国の文化にとって重要な位置を占める代表的建築に「伊勢神宮」があります。それもまた20年毎に寸分狂いなく改築するという、世界に稀な木造宗教建築です。
飛鳥時代に大陸から伝わった仏教と共に寺院建築様式が伝えられました。
我が国では、既に高度な木造建築を造る木工技術があったため、大陸の新様式は瞬く間に吸収され、「和様」といわれる新建築様式を生みだしました。
これは漢字が輸入され、それを平仮名や片仮名に変容させた日本人の優れた特質のようです。
島国である日本人は海の彼方からやってくるものに憧れ、新しいものを得ると日本化という化学変化を起こし、優れて美しいものに変える資質を備えているようです。古来のものと新しいものとの融合がとても得意な民族といえます。
日本の建築の中に古くて新しい、新しくて伝統となっている日本独自の建築様式があります。「茶室」です。
私は茶事を催しながら、今まで「茶室」を創ってきましたが、幾多の建築の中でこれほど高度に人間の生活に密着し、継承され、洗練されてきた建築はないように思います。
ある時、縄文遺跡を巡っていてハタ、と気が付いたことがありました。
7000年も前の住いと、同じ材料で造られている、草、木、土、石を材料として造られている、世の精神と道具と職人技は変化しているが、草、木、土、石には変化はないではないか、と。
昨年、新たに木造建築の基礎的技術ともいえる「伝統建築工匠の技」が無形文化遺産に登録されました。
伝統建築工匠の技には、大工、左官、石工、屋根工、畳職、瓦職、経師職などが含まれ、何れも継承が難しい業種といわれています。
私は日本人が7000年前の縄文時代の建築を未だに造っていることを奇貨として、先人の求め、遺したところを見据え、命ある限りこれを縁ある人たちに伝えて行きたい、と念じているところです。
今、コロナ禍の世にあって、何れ人の手で周辺にある里山や森林や海川のものを得て、住まいを造る日が来るかもしれないと、独り空想しています。
「伝統」とは、古き物事に新しきものを重ねて行く行動です。