日本のすがた・かたち
楽しみは客来るまでの月日かな
見上げる露地の空の蒼さも
茶事が近づくと茶室の掃除が始まります。
常と変わるのが起床時間です。
毎朝2時間ほど早く起きて、朝食前の露地掃除となります。門周りから始まり、当日の客が通る動線に沿って、掃き掃除、庭木の手入れや草を引く作業となります。
私が茶事を好む理由のひとつが、茶事毎の大掃除で、特にこの晩秋の茶事は、11月に炉を開く前の、いわば暮れの大掃除と同じような時期で、気合いの入るものです。
お招きする客の顔を思い浮かべながらの雑巾がけや刷き掃除は得難いもので、3ヶ月ほど前から準備が始まるなかで、最も気持ちの良い作業となります。
特にトイレの便器に手を入れて清める掃除はいいものです。この世間の垢にまみれている我が身が、清められていくような錯覚に襲われます。
当日は皆が無事に来庵されるだろうか、茶事の案内状の返書をいただく度に、それを思います。亭主と客はそれぞれ様々な想いを巡らせ、その日に向かうことになります。
茶の湯は日本文化を横断する大きな文化の塊です。
その結晶ともいえる茶事は、掃除に始まり掃除に終わる濃密な文化体現、といってもいいようです。
先人がなぜ永い間茶事を催してきたのか、なぜ、このような行為を伝えてきたのか、
企画し、客を組み、道具を組み、構成をし、そこに向かって準備を繰り返し、そして清掃をすると分かるような気がします。
茶事とは便所清掃をモットーとする行為ではないか、とこの頃思うことがあります。
「忙中閑あり」、深秋のその日を待つこの頃です。
(露地仏 招き布袋)