日本のすがた・かたち

2011年7月16日
梅干づくり

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今年も梅干づくりをしました。
もうかれこれ30年ほど続けていますが、今年の出来は例年にも増していいとひとり悦に入っています。
10年ほど前に、梅干作りの名人といわれる老人の秘伝を学び、以来試行錯誤しながらつくってきました。
梅は紀州の南高梅、塩は赤穂塩、赤シソは地元産です。
塩分8パーセントですが、カビを発生させない工夫をしています。
先人は「三合塩、三日三晩の土用干し」と教えてきましたが、塩分が30パーセントとでは塩分きつ過ぎです。
干し方も別の方法を実践しています。夜露にあてると甘みが出るといいますが、それよりもうま味がでる方法をしています。夜中に雨に降られて台無しになったことからの工夫でした。
年季が入るとはこのことで、何の仕事も同じように熟練が必要なのかもしれません。去年より今年、今年より来年です。
家の事は家人に任せきりでほとんどせずですが、なぜか梅干づくりだけは例年欠かさず実行しています。
この新作の梅干が完成すると、去年につくったものと一緒に家族や縁者にお裾分けします。夏には欠かせない年中行事となっています。
特に今年は震災のこともあり、梅を干しながら、つくづくこのようなことができる境遇をありがたいと思いました。
干上がった梅干をカメに納めながら、TVのニュースで総理大臣の個人的見解の脱原発構想を聞きました。
これに猛反発して、「首相が個人的見解とは何だ!」と憤慨している者もありますが、それを声高に叫んでいる者も「個人的見解」からという発言です。
HP-0716-1.jpg人間社会の成り立ちは、押し並べて個人的見解の披歴であり、それをどのように社会的に通用させて行くかという点で、見解が分かれるようです。
最高権力者である時の首相と、一介のホームレスの小父さんと個人的見解においては何も変わることはありませんが、社会に、大衆に対する影響力においては天と地ほどの差があります。
権力を志向するのは、この差に魅されるためです。
個人的見解が大勢の人々を動かすには、崇高な意志が背景とならなければなりませんが、その意志が個人的な色彩の強いものだとしたら、結末は見えています。
梅干は電気エネルギーがなくてもできます。
電気を必要としない食べものづくり、生活づくりをしてきた先人の智慧を思い起こす時代が訪れているように思います。
梅干に生ビールで、濡れ縁から蓮の華を眺める夏です。
                                                                                          


2011年7月16日