日本のすがた・かたち
瀧原宮(たきはらのみや)では鳥居をくぐってから出てくるまでの間、鳥肌がたっていました。
境内の雰囲気は、参道口から本殿に至るまで巨木が乱立し、異様なまでの神々しさでした。
伊勢神宮両宮内では別宮「荒祭宮」にそれを感じましたが、何か言葉にできない「気」が漂っていました。
六九八年、40代持統天皇が伊勢神宮内宮にアマテラスを祀るまで、この山奥の三重県度会郡大紀町瀧原の地に、アマテラスの神鏡が秘かに隠されていた、との飛騨の口碑の確かさを思いました。
天皇家の祖神であるアマテラス(ヒルメムチ・神鏡)は、崇神天皇により宮中から追われ、元伊勢といわれる各地をめぐり、最後に瀧原の地に隠れ、450年を経て伊勢の地に鎮座ましました。
前日に伊勢神宮内外両宮へ参り、別宮をめぐりました。
翌日、賢島の神明神社から伊雑宮(いぞうのみや)に行き、宮川の上流をたどり瀧原宮に至り、アマテラスの行履(あんり)を訪ねてみて確信をもったことがありました。
それは、内宮の敷地周辺を廻ってみてのことです。
伊勢神宮の最初の敷地は現在の内宮の位置ではなかったのではないか、ということでした。
五十鈴川やその支流の地形から考えると、現在の内宮の敷地位置にいかにも無理があり、明治期に大きく造成されたことがうかがえました。
では、1300年前に最初のアマテラスの社はどこに建てられたのか。
これについては、またいつか書きたいと思います。
アマテラスの鎮座の変遷と現存する木の建築は、古代から現代に、また未来の子孫にとって、「日本なるもの」を知らしめる大きな手がかりとなるはずです。
木の建築である伊勢神宮の一連の宮々は、もしかするとこの地球上に存在する「日本文化」の巨大な塊かもしれません。
アマテラスに会いに行った伊勢行きでしたが、20年来の好奇心にまた火をつけられて戻りました。
(写真 瀧原宮参道の巨木)