日本のすがた・かたち

2011年6月20日
起きて半畳、寝て一畳

HP-0620.jpg畳(タタミ)1枚の広さを1畳(いちじょう)といいます。
この畳1枚の長辺寸法約6尺を1間(いっけん)といい、約1.81mです。
この畳一枚で寝起きをする人たちがいます。
禅寺で修行をする僧たちです。
日本人は、畳の短辺を1、長辺を2とする、実にすばらしい比率の草製の敷物を編みだしました。
その元になっているものは人体寸法ですが、「起きて半畳、寝て1畳」という禅寺の修行僧の居住空間のあらわし方に、その智慧がうかがえます。
つまり、坐禅堂で暮らす雲水は起きて坐禅をしている時は半畳の広さで、就寝するときは1畳の広さというものです。
ひとりの人間が寝起きする上の最低の広さはタタミ一枚あればいいということになります。もちろん家財道具はありません。食器や洗面用具、寝具、着替えなどは、枕元の棚の上下ということになります。
このたびの震災で避難生活を送られている方々をみると、私はこの坐禅堂の一枚のタタミを思い出します。そして修行僧と被災者がダブります。
それを見ていると、人間はいつ何どきでも生きてゆく気さえあれば、生きてゆけるけるものだと、不思議に励まされることがあります。
また、タタミ一枚の広さに命の営みがあり、それを支える多くの人たちがいることに気づかされます。
震災はまた多くの教訓を残しています。
そして、私たちは時が経てその教訓を必ずや忘れることになります。過去の歴史がそれを証明しています。
忘れることは必ずしも悪いことではなく、むしろ忘れることがいいと思いますが、それでまた大きな災害に遭うことになります。
多分人間は、その繰り返しえしを太古の昔よりしてきたのでしょう。また50年も経てばそれが分かるはずです。
ですが、今遭遇している原発災害は、人間社会の災害に止まらず、地球規模の生きとしいけるものの命に関わる災害です。人間が自然に逆らったために受ける天罰とはいえ、他の生物のことを考えるとその浅はかさが思われます。
原発はすでに時代遅れのシステムかもしれません。人間以外の生きものはそう思っているに違いありません。
命の営みを展開する一畳の空間。
早く被災者がタタミ一枚の空間から脱することを願わずにいられません。
私は今、先人の伝えてきた素晴らしい日本を思い起こし、智慧をしぼって、次世代にむけた自然サイクルシステムを創っていくことをしたいと思っています。
もちろん建築造りを通してですが。
                                                             (写真 臨済宗座禅風景)                                                                                                                                                       


2011年6月20日