日本のすがた・かたち

2011年1月17日
古代建築の記憶

HP-0118.jpg緑なす森に暮らすやさきびとの
裔(すえ)なるわれは何を造らむ
                         
                                       
私は夢の中で設計をしていることがあります。
肉体は寝ていても脳は活動しているところをみると、多分、今、直面しているデザインを抽出しようとしているのだろうと思います。
いつも見る夢は、大きな塗料の入った缶と刷毛を持って空に舞い上がり、天空を走りながら絵を描くことです。大きな伽藍建築に限らず茶室のような小さなものも、絨毯や照明器具や家具のデザインも常に大空がキャンバスです。
なぜこのようなことが繰り返されるのか自分にも理解できませんでしたが、この頃その分けが理解できるような気になってきました。
それはひとつの建築が完成すると、その時に成したデザインの感触はどこかに消えてしまい、跡形もなくなってしまうものと思っていたものが、もしかすると、その時に成したデザインは記憶の中に深く潜んでゆき、絶えず次のプランニングの時にすがたかたちとなって出現するものだということです。過去に成就したデザインの記憶は折に触れ時により絶えずすがたを現わすということです。
これは遺伝子がもつ記憶といってもよく、つまり私の成すデザインは、ずっと昔のそれも太古からの、いや地球が創生された40数億年の記憶が繰り返しかたちとなりすがたとなって夢の中に出てくるという現象に他ならないことになります。
一個の人間は、実は太古からの記憶を全身に充満させた神秘の舟のようで、その記憶を次に次にと伝達してゆく特殊能力体かもしれません。私が考えるデザインは太古の人たちが共有していたものに他ならない、といえそうです。
また私の中に、大昔にあったであろう建築や美術工芸のデザインが潜在的に潜み、それが知らず夢に出てくるのではないか、と思えることがあります。
ある時夢の中で、『古事記』に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと)が国譲りの時、造らせたという「高くそびえる宮殿」が出てきました。これは有名な話ですが、その48メートルの高さの建築を造った工匠たちは誰なのか・・・。
そしてそれを造る木造建築技術が神話の時代にあったとすると、古代縄文晩期にはすでに石器ではなく木器時代が花開いていたのではないか・・・、自分の祖先がこの仕事に携わったのではないか・・・・。
これは出雲族と飛騨天孫族を結ぶ、高さ48メートルの宮殿建築逸話ですが、「古代飛騨の匠」の存在を示す物語でもあります。
時に、このようなたわいもないことに胸躍らせている自分を不思議に思うことがあり、自分はそのことを昔から知っていたのではないかと思うことがありますが、それは夢の中に先人が顕われて私をデザインの世界へと誘うからだろうと思っています。
人間は独り生きているのではなく、太古からの記憶とともに生きている。そう思える夢の中の出来事が今も続いています。
(写真 天空からの出雲大社)
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              


2011年1月17日