日本のすがた・かたち

2010年11月17日
葉書の季節

HP-101118.jpg紅のモミジは空の色までも
染めるかとする刻(とき)の流れも

立冬が過ぎると紅葉の鮮やかさが一層増して、年賀状の準備をする頃になったことを思い起こします。
私は何年か前から、賀状は正月に書くことにしています。その訳のひとつに喪中の知らせがあります。喪中の知らせは、その年の間に亡くなった方たちの消息であり、早めに出した賀状の後に届く喪中の葉書は、新年を迎える目出度さに水を差すことになるからです。
何日か前に届いた喪中の知らせには胸が痛みました。
以前、私の秘書をしていた女性が48歳で他界したというものでした。その葉書には“前向きに充実した日々を送っておりました彼女の生き方を誇りに思っています。ありがとうございました”と母親からの添え書きがありました。
私がその時思い出したのは、「逆を見るほど辛いことはない」と言った、ある親の言葉でした。その母親が幼児を遺して逝った娘さんを悼んだ時の情景でした。
親が子を思うことは何時の世にも変わらないもので、彼女の親御さんの心中を思い、暫く紅く染まったモミジの梢に葉書をかざし、空を見上げました。才媛で勝気だった彼女が、私をアシストしてくれた当時を思い出しながら、親より早く他界した子を悼む親の定めを恨みながらの蒼い空でした。
ある時、信奉する禅僧に新築祝いの書を頼んだひとが、その書いてもらった一行物を見て驚き、「老師様、これでは縁起が悪いので違うものをお願いできませんか」と言ったところ、「バカ者、これほど縁起の良いことがあるか」と一喝されたとの話を聞いたことがあります。
書かれていた言葉は、『親死ね 子死ね 孫死ね』。これが目出度のだ、と言われたそうです。
ひとは生まれ、育ち、老いてそして死ぬ。その運命には誰もが逆らうことはできません。それも老少の差別なく、何時死が訪れるかは誰も知る者はいません。老少不定という生きるものの永遠の理です。彼女は子どもを二人遺しました。その子どもも、この先、様々な人生を歩んでいくことと思いますが、いずれ、子を持つ親になった時に分かるいのちの尊さや、親が、祖父母が、先祖がいたことで自分の存在があることの実感をする時がくるはずです。
生きものの当たり前の営みを当たり前に生きてゆく……。
先人が営々と過ごしてきた時間の上に、自分もまた過ごしてゆく。この営みが太古から地球上の至るところで繰り返されている……。
太古の空の色も、紅葉越しに見る空も、何も変わることない生きもののすがた・かたちを映しているようです。
今年もまた一枚の葉書で、季節の移ろいを感じ、正月が近づいてきたことを知らされました。
(写真 今年の穂高連峰)


2010年11月17日