日本のすがた・かたち
乗鞍岳の麓に、2500年前から口伝されていたという、『飛騨の口碑』なるものがあります。
これを世に出したのは哲学者の故山本健造氏ですが、その中には永く隠蔽させられていた我が国の肇国の歴史が明らかにされていました。
『古事記』、『日本書紀』など、国史といわれる歴史書に書かれている内容が、神話仕立てなど不自然であり、太安万侶と共に『古事記』の編纂に関与し、口述した人物とされる28歳の天才舎人〈稗田阿礼・ひえだのあれ〉に関しては確たる実態はなく、「続日本記」など他の歴史書には登場せず、謎の人物で、異説に藤原不比等同一説まで飛び出していました。
山本健造は口碑から、稗田阿礼は「飛騨に在れます御方」をいい、現在でも二千数百年続く「阿禮家」の先祖だったとして、阿禮家の末裔を明らかにし、稗田阿礼は超能力者・シャーマンだったと示しました。
また、『古事記』は実史をもとに、時の権力者の祖の地である出雲賛美の物語であり、飛騨天孫族・皇統(天皇家)の仰讃の形をとりながらも出雲政権の正統性を示そうとしたものと、幾つかの証拠を挙げています。
『古事記』上巻(かみつまき)は序と神話です。
天地開闢から日本列島の形成と国土の整備、天孫降臨を経てイワレヒコ(神武天皇)の誕生までを記す「日本神話」。スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治。その子孫の大国主神の稲羽の素兎(因幡の白兎)。国土が整うと国譲りの神話で、叔母であるイルメムチ・天照大神は葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主と子供の事代主神はそれを受諾する。中津国の統治権を得ると、飛騨高天原の神々は天孫ニニギを日向の高千穂に降臨させる。そしてニニギの子供の山幸彦と海幸彦の説話。浦島太郎のルーツともいわれる海神の宮殿の訪問や異族の服属の由来などが語られる。山幸彦は海神の娘と結婚し、孫のサヌノミコト・神武天皇が誕生する・・・。
続く、「中巻(なかつまき)(初代から十五代天皇まで)」。「下巻(しもつまき)(第十六代から三十三代天皇まで)」の3巻より成っています。
現存する『古事記』の写本は、主に「伊勢本系統」と「卜部本系統」に分かれています。
そして、偽書ともいわれた『古事記』のまやかしの部分を照らしたのが、『飛騨の口碑』でした。私にとって、その説得力は快刀乱麻の如くでした。
昨日、天皇皇后両陛下は伊勢神宮外宮にて、皇位継承に伴う一連の国事行為「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」を終えたことを報告する「親謁(しんえつ)の儀」に臨まれ、今日23日に皇祖天照大神に祭儀の正装「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」姿で馬車にて、「三種の神器」のうち剣と璽(じ)(勾玉(まがたま))とともに、内宮正殿に昇り、玉串をささげて拝礼されます。
皇統天照大神から2000年余の時の流れを感じることのできる一連の儀礼・儀式です。
日本の国の歴史と伝統は、時代と共にすがた・かたちを変え、幾重にも積み重なって今日を形成しています。その国の民族の文化とはゆるがせにはできない匂いを発するものだと思っています。皇室は、我が国の歴史と伝統に馥郁たる香りを放つ文化だと、改めて思いを致しているところです。
この12月8日を過ぎると解体される素木造り大嘗宮を行こうかと、考えているところですが、何しろこのところの用事の多さでは…。
写真: 伊勢神宮外宮を参拝される天皇陛下 (Webニュース)