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「日本の建築とは何ですか」、とよくたずねられる。
「木の建築です」、と私はこたえる。
現在、我が国の建物は異国風のものが多いので、日本の建築と呼べるものが分からなくなってきている。また昨今は建築のみならず、衣食住のすべてにわたって日本固有のものが見えない時代になってきて、私は日本人なのか、と疑問に思うことすらある。
その中で我が国にある木の建築は、まぎれもなく日本の建築であると断言できるものだ。
縄文の時代から先人の英知を積み重ね、木と木造技術を受け継いできたものは木の建築以外にない。これは世界に類をみないものである。
その日本建築の粋が茶室である。茶室は日本文化そのものがつまっているといえる空間で、茶の湯の「茶事」を催すためだけに造られるステージである。
茶事には気象、宗教、建築、庭園、文芸、書、絵画、陶芸など美術工芸一般、料理、生花、服飾、音楽、礼法などの日本なるものが包含されている。つまり日本文化の塊りと言われる古神道、日本仏教、皇室のエッセンスが凝縮している儀礼・儀式といえるものだ。
茶なるものが日本に出てきて七百年。利休が大成して四百年。現在のような茶事のかたちができて二百年ともいわれるが、茶の湯のステージである「茶室」を知ることは、我が国固有の文化の大半を知ることにもつながる。こんなにも深遠で素晴らしい建築は他にはない。私は日本の誇りのひとつがここにあると思っている。
その茶室で一会の茶事が催される。
茶会で道具の第一は「床掛物」と利休は言った。これに、この約束に異論をはさむ余地はないが、しかし秘かにではあるが、私は異論をとなえるものだ。私の道具の第一は「茶杓」だと。茶事中の茶杓ほど、一会を語るものはないと。
成るほど床掛物は茶事の精神の柱である。禅僧、茶匠の書が掛かれば、亭主の意図する茶事が構成できるのは必定だ。だがこの日の茶事のために削った茶杓には、自分の秘めたストーリーが濃厚に漂う。その一会でしか伝えることのできない想いが詰まっている。
茶杓を削る面白さを知ってから私の茶事は変わった。現在まで百数十回、茶事ほど面白いものはない、と思うようになった。茶杓はただの道具にととまらず、客と一会を語る時の、最も頼りになる伴侶だと思っている。—
一文は、出版の準備をしている『茶杓秘話』の巻頭文です。
今週から、2020年の如月に席中でご飯を炊く「茶飯釜の茶事」の準備を始めました。
今、あれこれと思いを巡らせ、竹を選び、削る楽しみがまた・・・。
写真:茶杓 銘「不二の峯」自作(銀座松屋チャリティー作品展出品作)