日本のすがた・かたち
10月31日の朝は市の文化財審議委員会の視察で、箱根八里を訪ねるため、バスで小田原城に移動していました。
車中、深秋の箱根道に晴れ渡る景色が爽やかに映っていましたが、私の心は沈んでいました。
未明の首里城の炎上の映像が目に浮かび、心が晴れませんでした。
そして、今日のNHKニュースをネットで見て、また胸が痛みました。
― 鮮やかな朱色がまぶしい首里城の修復に関わってきた漆塗り職人の男性は、焼け落ちた城を見たあとひとり、車の中でSNSにつぶやきました。
「建物なんて塗ったこともない漆職人が、あーだこーだいいながら塗り直してきた首里城が燃えちゃいました。
ほんとに泣けてきました。
漆のこともまだよくわかりもしなかった自分を育ててくれた首里城。
ナイチャーの自分が今こうして、沖縄で漆の仕事ができるのも首里城のおかげです。
感謝しかありません。
その首里城が燃えちゃいました。
13年かけてみんなで直してきた首里城が燃えちゃいました。
毎日、毎日塗ってきたんだけどなあ。
13年かけて塗り直した首里城が3時間で燃えつきました。
燃えちゃいました。
燃えちゃいました。
燃えちゃいました。」―
(2019年10月31日 20時39分 ネットワーク報道部記者 大窪奈緒子・郡義之)
私も建築を造るひとりとして一文に思わず涙しました。
そして、貴重な伝統建築が焼失したと同時に、積み重なってきた「文化」と「伝統」、「時間」が焼失したと思いました。
今日、政府は、沖縄の重要なシンボルで、復元に向けて、早急に対応する必要があるとして今年度の補正予算案に必要な経費を盛り込む方向で検討に入ったとのことです。
早くも再建に向けた動きが始まっています。
首里城に関する設計図書など、データは整備されているとのこと。
日本人は瞬く間に再建を成すことと思います。
私も微力ながらできることがあれば、と念じました。
SNSに投稿した漆職人のためにも…。
そして再度訪れてみたいと思いました。
写真:炎上する首里城 (NHKニュース)
下 焼失前の首里城